日本時間の9月5日夜、パリパラリンピック車いすの女子テニスダブルスで、上地結衣(かみじ ゆい)選手(30)と、田中愛美(たなか まなみ)選手(28)のペアが、日本女子史上初の金メダルを獲得しました。田中選手にとっては、初めてのメダルです。

高校生の時に事故に遭い、自力での歩行ができなくなった田中選手。事故から11年、転機となったテニス部顧問の言葉とリハビリの日々を振り返り、大好きなテニスでメダルを目指す意気込みをカメラの前で語っていました(2024年2月取材)。

“粘り強い”プレーヤー

熊本県菊陽町出身の車いすテニスプレーヤー田中愛美選手。東京パラリンピックでは、シングルス5位、ダブルス9位という成績を残しました。

田中愛美選手「(毎年)20大会~25大会ほど海外の大会に出場させてもらっている。自分の思ったプレーが試合中に出来ている回数というのは前より増えてきた」

練習の拠点は3歳の時に引っ越した東京。この日もコート内を縦横無尽に走り、コーチから放たれるボールを力強く返していました。

力強い返球がコーンに命中

コーチは、田中選手の武器を次のように分析します。

岩野耕作コーチ「粘り強いところ。プレー的にも性格的にも粘り強い。それが早く成長した理由かなと」

テニス部顧問「プレーヤーとして戻ってきなさい」

田中選手は中学からテニスを始めましたが、高校1年生の時、自宅での転落事故で脊髄を損傷し自力での歩行ができなくなりました。

それでも田中選手はテニスに携わっていきたいと、テニス部の顧問にマネージャーとしての復帰を願い出たといいます。

田中選手「(テニス部の)顧問の先生が『どうせ部活に戻って来るんだったら(テニスを)やる側のプレーヤーとして戻ってきなさい』という風に言ってくれた」

その言葉に田中選手は大好きなテニスが続けられると前を向きましたが、待ち受けていた現実は厳しいものでした。

田中選手「ボールに届かない、走れない、動けない、というのが本当にフラストレーションが最初のうちは溜まりました」

以前はできていたプレーができず、もどかしい日々が続きます。

田中選手「学校が終ってから、リハビリ病院の体育館でただひたすら走る練習とかを母親と二人で平日の夕方にやっていた」

リハビリから11年。今はパラリンピックでのメダルを目指しています。

田中選手「(パリパラリンピックは)メダルを取るという気持ちを強く持っているのでみなさんの前で活躍している姿を見せられたらいいなと思う」

父「本当にありがとう、おめでとう」

そして迎えた決勝で、3時間に及ぶ激闘を対戦を制し、金メダルを手にした田中選手たち。

田中選手の出身地、熊本県菊陽町で試合を見守った父・晋さんは、声を詰まらせながら娘に対し「ありがとう」と繰り返しました。

田中愛美選手の父 田中晋さん「間違いなく彼女のベストゲームだと思うし、こんないい試合見せてくれてありがとうだし、金メダルなんて、ほんとにありがとうって何回言っても足りないぐらい。ほんとにありがとう、おめでとうと言いたいです。メダリストになってくれるなんて夢のようです」

「娘は誇りだし、希望だし、かけがえのない存在です」

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