五輪のピスト(コート)にはまだ忘れ物がある。パリ五輪フェンシング女子サーブル団体銅メダルの江村美咲(立飛ホールディングス)は、日本に戻ってきてから強く実感した。16日、全日本選手権個人戦の決勝。優勝で涙を流したのは、この夏の日々が脳裏をよぎったから。そして、大舞台に立てなかった仲間に思いをはせたからだ。 ◆出られなくても「誰よりも一生懸命」

全日本選手権の決勝後、小林かなえ(手前)と談笑する江村美咲=沼津市総合体育館で(山内晴信撮影)

 「モチベーションを保つのは大変なのに、誰よりも一生懸命だった」。決勝で剣を交えた小林かなえ(河合電器製作所)はパリでの練習パートナーだった。試合に出られなくても、レベルの高い練習相手になるべく準備を怠らない姿に、江村は感銘を受けた。  世界選手権を個人で2連覇した25歳にとっては開会式で日本選手団の旗手を務め、かつてない注目を集めながらピストで実力を出し切れず、もどかしかった大会。そんな中で、ひた向きな27歳の先輩が「心の支えになった」。4年後のロサンゼルス大会では「一緒に戦いたい」と願う。五輪の表彰台の頂点にともに上がるために腕を磨く。

◆悔しそうだった「弟分」のために

 同じ思いをパリ五輪男子エペ団体銀メダルの山田優(山一商事)も持っている。30歳を迎え、地元・三重に近い愛知・名古屋で行われる2年後のアジア大会を区切りに現役を退く意向を固めていた。最後になるはずだった五輪。スタンドで練習パートナーの松本龍(日大)が声をからしていた。

全日本選手権個人戦の決勝後、取材に応じる山田優(山内晴信撮影)

 主要な国際大会に出場しながら日本勢「5番手」の評価となり、4人の団体戦メンバーに入れなかった22歳。仲間を応援しつつ、時折悔しそうに表情を曇らせる。山田はそれを見逃さなかった。  日大の後輩に当たる弟分のことは「お金がなくて海外遠征を回れないので、五輪は諦めます」と打ち明けられたのがきっかけで、気に掛けていた。ともに五輪に出場するための方策を考え、家族ぐるみで世話を焼いた。「かわいくなっちゃって。だから一緒にあの舞台に立ちたい」。引退を先延ばしにして、後輩と金メダルの喜びを分かち合うと決意した。(山内晴信)


鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。