金メダルの東京大会後 けがに苦しんだ3年間
道下選手は、小学4年生の時に目の病気にかかって中学生で右目の視力を失い、左目の視力もわずかです。
44歳で臨んだ東京パラリンピックで、2位に3分以上の圧倒的な差をつけて金メダルを獲得しました。
それからの3年間は、しんどく、苦しいものだったといいます。
酷使してきた足のけがに何度も苦しめられ、長いときには3か月間、十分な練習が積めませんでした。
100人以上の伴走者 “チーム道下”とともに
そんな道下選手を支えたのが練習をともにする伴走者です。
主婦やサラリーマンなど、その数、総勢100人以上。
“チーム道下”と呼ばれています。
けがで歩くことしかできなかったときも「絶対にみっちゃん(道下選手)なら戻ってこれる」とチーム一人ひとりの声かけが再び前を向かせてくれました。
パラリンピック“最難関”と言われる、パリのマラソンコース。
伴走できるのは2人までですが、道下選手は、これまで支えてくれた100人以上の伴走者と心の中でたすきをつなごうと決めていました。
挑んだ大会本番
序盤から、モロッコの選手がハイスピードで独走します。
それでも道下選手は「自分の走りをして、後半で勝負をかける」と冷静にレースを進めます。
石畳が多く、足に負担がかかるタフなコース。
ここでぶれずに走ることで体力を温存しようと、徹底的に鍛えてきた体幹を生かし、安定した走りを見せました。
そして、フィニッシュ間際の凱旋門。
「一番苦しくなるだろう」と想定していた場所は夫の孝幸さんにプロポーズされた思い出の場所です。
凱旋門につながるシャンゼリゼ通りには、孝幸さんと、“チーム道下”のメンバー、およそ30人が応援に駆けつけました。
夫の孝幸さん
「運命的なものを感じる。凱旋門の上でプロポーズしたので本当は上から声を掛けたかったが規制されて入れないので、沿道からしっかり応援したい。一番苦しい地点だと思うので思い出を力に変えて走ってくれるはず」
道下選手も「ここは、夫のパワーがもらえるはず」と一気にギアを上げ、4位でフィニッシュ。
レース直後「悔しいという思いと、たくさんの人が応援にきてくれ幸せだという思いだ」と涙を流した道下選手。
そのおよそ30分後、3位に入ったスペインの選手が失格となって繰り上がり、3大会連続のメダルとなる銅メダルを獲得しました。
表彰式のあと、銅メダルを首にかけて報道陣のインタビューエリアに現れた道下選手は銅メダルが決まった瞬間をこう振り返りました。
道下美里 選手
「みんなで飛び跳ねて抱き合って『持っている!』と声を上げて喜び合った。とにかく後ろを見ずに前の選手を追い続けた結果だと思う」
そして、沿道で声援を送ったたくさんの“チーム道下”への感謝のことばを口にしました。
「たくさんの人の思いがいっぱい詰まった重みのあるメダルです。皆さんに思いっきり『ありがとう』と伝えたい」
決して、あきらめずに仲間と共にたぐり寄せたメダル。
最後にトレードマークの笑顔がはじけました。
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【NHKニュース】パリパラリンピック2024
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