◆「制球と変化球の質に自信がある」
京都国際戦に先発した関東第一・畠中=23日、甲子園球場で(中嶋大撮影)
0―0で迎えた六回2死二、三塁。外角低めの変化球で空振り三振を奪うと、グラブをたたいて拳を握り締めた。快速球はなくとも、丁寧にコースを突く抜群の制球力。持ち味を発揮した「背番号10」は、「制球と変化球の質には自信がある」と胸を張った。 小学1年で野球を始めたころからずっと投手で、背番号はいつも「1」。生真面目で、練習から手を抜かない。エースナンバーをひけらかすタイプではないが、努力の証しとしてひそかに誇りに思っていた。 そんな中、同学年の坂井遼(はる)投手が粗削りながら速球を武器に台頭。米沢貴光監督は悩んだ末、坂井投手に「1」を与えた。「坂井の爆発力を引き出すにはエースナンバーが必要だった。真面目で堅実な畠中なら、どちらの番号でもぶれずにやってくれる」◆「背番号1」を譲った悔しさバネに
信頼の裏返しだが、複雑な気持ちだったのは間違いない。母の優江(まさえ)さん(46)は寮生活の息子が帰ってきた時、チームで話せない本音を聞いた。「ずっと『背番号1』を目指してやってきた。やっぱり悔しい」 それでも自らに言い聞かせるように続けたという。「背番号が何番でもやることは一緒」。坂井投手と二枚看板として切磋琢磨(せっさたくま)し、甲子園を勝ち上がった。チームを支えたその姿は、まぎれもなくエースだった。 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。