所属するキッツのイベントで記念撮影をする須崎優衣選手(左)と練習パートナーの吉柴未彩輝さん=東京都内で2024年6月27日、角田直哉撮影

 「まさか」の展開だった。五輪2連覇を目指すと力強く宣言してパリのマットに立ったレスリング女子50キロ級の須崎優衣選手(25)が、6日の1回戦で敗れた。

 「このオリンピックは私だけの夢ではなかったので、本当に申し訳ない気持ちです」。その言葉を聞いて、一人の女性の顔が浮かんだ。須崎選手を一番近くで支え、励ましてきた彼女は今、何を思うのだろうか。

 女性の名前は、吉柴未彩輝(みさき)さん(24)。東京・安部学院高で1学年先輩だった須崎選手から練習パートナーに指名されて、そこからは喜びも悔しさも、全てを一緒に体感し乗り越えた。

 高校に入学して間もなく吉柴さんは、練習で須崎選手とスパーリングを行う機会に恵まれた。始まってわずか30秒。いきなり完璧にタックルに入られて、フォールまで持っていかれた。「衝撃的だった。驚きを通り越して言葉を失った」

 練習量にも目を丸くした。レスリング強豪校の毎日約3時間の全体練習は密度の濃いハードな内容だったが、須崎選手はさらに3時間ほどの練習を追加でこなした。声をかけられ吉柴さんもたまに参加したが「全体練習で既にヘロヘロで動けない」とついていけなかった。

 二人三脚の日々の始まりは突然だった。2016年12月、須崎選手が全日本選手権へ出場するにあたり1年の吉柴さんがパートナーを頼まれた。「自分の同級生の中でも誰がやるんだろうと、話題になっていた。驚きの方が大きかった」。なぜ自分が選ばれたのか。理由は言われなかったし、聞いてもいない。それでも身が引き締まるような感覚は今も鮮明に残っている。

 打ち込みやスパーリングは必ず1人目に相手をするようになり、練習後の技術練習も2人で取り組むようになった。ともに過ごす時間が長くなり、須崎選手の競技への向き合い方、ストイックさにまた衝撃を受けた。一つの技に対して何通りもパターンを考えて、コーチとも対等に意見交換する姿に「レスリングに対して貪欲だ」と感じた。

高校時代から須崎優衣選手の練習パートナーを務めてきた吉柴未彩輝さん=東京都内で2024年5月27日、角田直哉撮影

 今も思い出す、印象的な練習がある。高校時代、一人の相手と組み続ける「30分間スパーリング」。周りは15分で休憩を入れていたが、須崎選手と吉柴さんは30分間ぶっ続けでプレーした。意識がもうろうとし、何点取られたかも分からない状態で差し掛かった終盤、須崎選手が耳元でぽつりとつぶやいた。「よし、今のが130点目」。肉体的にも精神的にも追い込まれた状況でも、須崎選手はマット上でいつも冷静沈着だった。

 大学は須崎選手が早大、吉柴さんが大東大と進路が分かれた。それでも吉柴さんが「出稽古(でげいこ)」の形で早大に出向き、パートナーとしての関係は続いた。

 相思相愛の2人の関係が、一度だけ崩れかけたことがある。19年、須崎選手は東京五輪につながる世界選手権の出場を懸けたプレーオフで敗れた時だ。批判の声は吉柴さんにも向けられた。「パートナーがだらしないから」「須崎選手と釣り合っていないのではないか」。鋭利な刃物のようにとがった言葉が、突き刺さった。「『私でいいのかな』と心が折れた」。まだ10代。ショックは大きかった。

 数日後、気持ちの整理がつかないまま向かった道場には、既に敗戦から切り替え、いつも通り明るく前向きな須崎選手がいた。「チャンスが来たときに今度こそは絶対に勝つ。また一緒に頑張ってほしい」。吉柴さんは「自分が変わるしかない。強くなって見返してやろう」と腹をくくった。

 その後、舞い込んだチャンスをつかみ、須崎選手は21年の東京五輪に出場して、圧倒的な強さで金メダルに輝いた。それに満足することなく、技の引き出しを増やすなどさらなる進化を目指し、尽きることのない向上心でレスリングと向き合い続ける。練習内容への要求はより細かく、レベルの高いものへと変わった。吉柴さんは「須崎先輩を勝たせたい」と必死に食らいついた。大会での成績も少しずつ伸び始めて、自信がついた。

 須崎選手は早大を卒業した後はキッツに所属し、大学の同期や先輩にコーチを頼み「TEAM須崎」として活動。23年12月、次々回大会までを見据えて「五輪4連覇」を目指すと公言した。少し驚いた吉柴さんだが「変わらずにハングリー精神を持ち続けることが須崎先輩の一番の魅力。本当にすごい」とうれしさと誇らしさを感じた。

 幼いころ想像したレスラー人生とは違う。それでも須崎選手と一緒だから経験できたことがたくさんあった。「高校生の時は弱いままで終わるのかなと落ち込んだ。部活をやめようと思うくらいだった。それがパートナーに選んでもらい、そこから強くなれた。諦めなくて良かった。須崎先輩には何度でも『ありがとうございます』と伝えたい」

 再びスポットライトを浴びるはずのパリ五輪で理想の輝きは放てなかった。7日の3位決定戦で勝利した須崎選手は目に涙をためながら両手を合わせ、何度も頭を下げた。それでもレスリングと向き合う真っすぐな姿勢と歩みが、多くの人の人生を励まし、勇気を与えてきたことは変わらない。その事実がメダルの色で色あせることはない。【パリ角田直哉】

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