際立つ“前に出る力”

大会前、日本代表の笹本睦コーチに日下選手について聞くと、返ってきたのは「不器用」ということば。ただ「海外の選手が嫌がるほど圧力をかけられる」とすぐに続け、前に出る力が際立っていることも明らかにしました。

その特長を生かすために「差し押し」と呼ばれる技術を磨いて「前に出るレスリング」を強化するよう指導してきたといいます。

<子ども時代> 相撲で磨く

「差し押し」とは相撲のように片腕を相手の懐に差して押す技術です。

レスリングとともに子どものころから習っていた相撲の経験が生きて得意になった技術で、相手を場外に押し出すなど、日下選手はさまざまな大会でこの技を使ってポイントを奪ってきました。「しこ」「すり足」などで鍛えた下半身の強さも相まって、日下選手の差し押しは徐々に力強さを増していきました。

<高校生時代> 監督の指導が転機に

日下選手は中学生まではなかなか目立った成績を残すことができませんでした。しかし高校時代に転機が訪れます。竹下敬監督の『才能は努力で超えられる』という指導のもと「ほかの人たちよりも練習しないと強くなれない」と、これまで以上に練習に打ち込みました。

<大学時代>強豪 日体大でさらに向上

さらに強豪の日本体育大学に進むと、オリンピック2大会に出場した松本慎吾監督に直接スパーリングの相手をしてもらうなどして「差し押し」の威力をさらに向上させていきました。すると大学1年生で全日本選抜選手権で優勝、去年の世界選手権で銅メダル、さらにことしのアジア選手権などの国際大会を制し、世界ランキング1位にまで上り詰めました。

パリの舞台でも“前に出る”

「金メダルを獲得して人生を変える」

そう臨んだ初めてのオリンピック。「差し押し」を軸にした「前に出るレスリング」は、パリの舞台でもいかんなく発揮されました。

準決勝

初戦と準々決勝までの2試合を「差し押し」を軸に攻めていずれもテクニカルスペリオリティで勝ち進むと、準決勝でも去年の世界選手権の銅メダリストを破って決勝に進みました。

「自分と過去の練習を信じて…」

決勝では前半「自分のプランどおりの展開ではなかった」と、腕を取って「差し押し」を防いでくる相手に2ポイントをリードされました。

決勝

しかし「自分と過去の練習を信じて前に出続けた」と後半開始直後に前への圧力を強めチャンスを作ると、相手を投げてポイントを奪い逆転。その後も前に前に攻め続けてポイントを追加し、頂点に立つと喜びを爆発させました。

試合後には満面の笑みで決勝を振り返りました。

「オリンピックに憧れてレスリングを続けてきたので、憧れの場所で優勝できたことがまだ現実か分からない。小さいころからきつい思いを乗り越えてやってきたので、優勝できてよかった」

「最高に楽しい6分間」

日下選手が生まれたのはシドニーオリンピックが行われた2000年。名前の「尚」は、このオリンピックの女子マラソンで金メダルを獲得した、高橋尚子さんにちなんで名付けられました。

「名前の由来を追いたい」と話していた日下選手。

「夢を見ているようです。最高に楽しい6分間でした

高橋尚子さんがシドニーオリンピックのマラソンで金メダルを獲得したあとに語った「レースは42キロと思えないほど、短く感じて楽しいものでした」というフレーズもまねて、喜びの大きさをうかがわせました。

愚直に努力を重ねて

日本勢がオリンピックのグレコローマンスタイルで獲得した金メダルのうち、77キロ級はこれまでで最も重い階級となります。

みずからを「凡人」と呼び続けた23歳が愚直に努力を重ね、そして不器用でも前に出続けて快挙を成し遂げました。

レスリング 男子グレコ77キロ級 日下尚が金メダル パリ五輪

【NHKニュース】パリオリンピック2024

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