今年も高校野球の夏の頂点を目指す戦いが全国で始まっている。
富山県内に夏の甲子園優勝を選手として経験した指導者がいる。不二越工(富山市)の責任教師、国友賢司(33)だ。2009年の第91回全国高校野球選手権大会で国友は中京大中京(愛知)の2番、二塁手として全国制覇の一員となった。
この大会の決勝は、今も語り継がれる名勝負だ。相手は日本文理(新潟)。中京が10―4でリードし、九回2死走者なし、あとアウト一つで優勝だった。ところが――。
日本文理の猛攻が始まる。四死球に安打が連なり、走者が続々本塁にかえってくる。二塁を守っていた国友は「簡単に勝たせてくれないな」と思っていたが、縮まる点差に「やばい、やばい」。
1点差に迫られ、なおも一、三塁のピンチ。最後は痛烈なライナーが三塁手のグラブに収まりゲームセットとなったが、勝った喜びより「ホッとした」という一戦だった。
◆
国友は、愛知県大府市出身。中学校時代、シニアチームで全国大会8強に入ったことがあるものの、「目立つ選手ではなかった」。たまたま中京の練習会に参加したことがきっかけで、入学を決めた。
同期は25人。「堂林翔太(現・広島)をはじめ、県内で知られた選手がいたし、練習について行くのがやっとだった。やめたかったけど、言い出すのさえ怖くてやめられなかった」という。
チームが「日本一」を意識するのは09年の選抜準々決勝で報徳学園(兵庫)に5―6で敗れた時からだったという。これを機に目標が明確になった。
全員が意識して日本一という言葉を口にした。「日本一の練習をしよう」「日本一、礼儀正しいチームになろう」と。何でも日本一。ベンチ外のメンバーも「日本一の打撃投手になろう」「日本一、部室をきれいにしよう」。愛知大会で優勝したが、誰一人、マウンドに駆け寄らなかった。事前に相談したわけではない。「地方大会は通過点だと思っていたから」
注目されている選手はいたが、「てんぐになるメンバーはいなかったし、みんなができることを一生懸命やっていた。一体感のあるチームでした」と振り返る。
◆
進んだ亜細亜大学ではマネジャーとしてチームを支える。卒業後は、大学などからの紹介もあり、富山で教員となった。
今は県高校野球連盟副理事長として、富山の高校野球全体を見渡す立場にもある。運営に携わる中で気になるのは、選手に「チームに貢献しようという意識が薄れている」と感じることだ。試合で負けても、「自分はヒットを打ったから」と個人の成績に満足しているように見える。
個人の能力は大切だ。しかし、「全員がどこまで同じ気持ちで向かえているか。それが、苦しい場面でこそチーム力として発揮されると思っています」。=敬称略(おわり)(前多健吾)
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。