(12日、全日本大学野球選手権2回戦、中京大3―0中部学院大)

 中京大の安藤利玖(4年、安城南)は1年のとき、練習中にひざの半月板を激しく痛めた。手術も受けたが、医師に「(選手としては)難しい」と言われた。

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 安藤は「気持ちが切れてしまった」。選手としての大学野球はあきらめ、練習のサポートにまわる学生コーチに。2、3年と続け、昨秋の出来事だった。リーグ戦の入れ替え戦に向けた練習中、打撃投手として投げたところ、球速が上がっていた。

 本人も、これといった理由がわからないという。「特に何もしていない。ただ、柔軟は続けていた」。不思議な思いや驚きと同時に、もう一度投げられるのではないか、という希望がわいてきた。ひざに影響が出ないようにトレーナーと相談しながら練習を再開。この春、選手として復帰を果たした。

 最速は、入学時より3キロ上がって147キロへ。計4試合で15回余りを投げて防御率0・00を記録。6年ぶりの全日本大学選手権出場に貢献した。

 そして、この日の先発マウンドは「ご飯が食べられないくらいの大緊張」だった。それでも前日には「食べれば負けない」という、もんじゃ焼きを験担ぎで胃袋に押し込み、大一番に臨んだ。

 神宮球場の硬いマウンドに慣れず、試合途中には右足の裏の皮がめくれるハプニングもあった中で、最後まで力強い直球で押した。内外のコースを突く制球もさえ、9回を被安打6、9奪三振、無四球。大学では5回が最長だったが、初めて完封を達成した。

 半田卓也監督も驚きを隠さない。「2年間は、けがで野球ができていなかった。もちろん、ある程度は投げてくれるとは思っていたけれど、1人で投げきってくれたのは想像以上の活躍を見せてくれた」

 安藤も「まさか」という大舞台での快投だ。「やってきたことに腹をくくって投げた。意地を見せようと思っていました」

 額にしたたる汗をぬぐう4年生の表情は、最高の充実感がただよっていた。(室田賢)

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