パリオリンピック™・レスリングで、日本は過去最多8個の金メダルを獲得。そのうち2つは、高知出身で幼なじみの櫻井つぐみ選手と清岡幸大郎選手が勝ち取った。幼いころから2人を指導したのが、櫻井選手の父・優史さん。五輪前に語っていた独自の指導法、そして教え子や娘への思いなどから、金メダルにつながる布石が見えてきた。(2022年12月テレビ高知で放送「ここだけのはなし。」より)

櫻井つぐみ選手&清岡幸大郎選手 高知に凱旋(高知市役所)

22年前に味わった指導者としての“挫折”

櫻井優史さんは、香川県出身。2002年の高知国体に向けてレスリングの強化を託され、群馬大学卒業後、高知で教員となった。その高知国体が、櫻井さんにとって大きな転機となる。

【櫻井優史さん】
「私が高知に来た一番の目標は、高知国体で教え子を優勝させること。それに向けて一生懸命やってきたのですが、決勝戦で敗れてしまって。相手はその後オリンピック選手になるのですが、その優勝した選手との間に大きな差を感じました。このままでは日本一の選手を生み出すことはできないな、と。指導者として挫折を味わって、そこから新たな挑戦を始めました」

そこから櫻井さんの「五輪で金」への一歩が始まる。

高知から「世界」に羽ばたく選手を

櫻井さんの大きな転機となった2002年の高知国体。決勝戦で教え子を破って優勝した選手は、ジュニアのときから全国で活躍している選手だった。櫻井さんは、この一戦でジュニア育成の重要性を痛感したという。

その指導者としての挫折を機に「高知から日本一の選手を」と人生全てをかける覚悟で2004年に立ち上げたのが「高知レスリングクラブ」だった。

櫻井さんの長女・つぐみさんや次女・はなのさんら、近所の子どもたちを集めてのスタート。最初は人集めにも苦労したそうだが、その後このクラブから、日本代表選手が8人も輩出される。清岡幸大郎さんも、高知レスリングクラブの一期生だ。

世界で戦える選手を育てた櫻井さんの指導の極意とは…

高知レスリングクラブで指導する櫻井さんと当時小学生のつぐみさん(右)

【櫻井優史さん】 
「ジュニアの指導経験がなかったので、最初は手探りの状態で、私の地元・香川のジュニアチームで指導法を学んだり。技術面については、県内外の優れた指導者の方にお願いをして、日本中どこであっても選手を連れて行ったりしました。そういった練習環境を提供することに全力を尽くそうと」

櫻井さん自身、高校時代は国体優勝、大学時代は全日本学生選手権3位と実績を残している選手だったにも関わらず、ある意味プライドを捨てて、ひたすら技術が向上する環境を求めていった結果、選手はどんどん力をつけていった。

【櫻井優史さん】
「私は地方の高知からでも、日本一の選手を出せる、世界で優勝できると思って指導しています。以前、大会前に選手に目標を書かせたとき、後にU-20 世界選手権で優勝した選手が、『世界3位』と書いたんです。そのときに私は『お前は最初から負けに行くのか?』と『私ならそんなのは嫌だ』と言ったら、その選手は『優勝』と目標を書き換えました。どんな大会でもしっかり準備をして一番を目指す、その覚悟を持ってマットに上がる。私は子どもたちの可能性を信じていますし、それが、私が大切にしていることでもあります」

レスリング55キロ級で世界選手権初制覇を果たした櫻井つぐみ選手(2021年・ノルウェー)

長女つぐみさんとの間には、こんな出来事もあった。父と娘である前に、指導者と選手、櫻井さんはどう向き合ってきたのか。

夢は「五輪で金」そして高知をレスリング王国に

櫻井さんの長女つぐみさんは、3歳のときから父が立ち上げた高知レスリングクラブに通っていた。

父の指導を受けるつぐみさん

つぐみさんは、中学時代、全中3連覇するなど、頭角を現していたが、高校生になってスランプに陥り勝てなくなり、練習に対しても前向きではなかった時期があった。そのとき、「そんな練習態度では指導しても意味がない」と櫻井さんは、練習場に何日か敢えて行かなかったという。

【櫻井優史さん】
「練習をやらされているといった姿勢だったので、ちょっと突き放して練習場に行かない日があったんです。すると何日かして当時キャプテンだった清岡幸大郎が『つぐみは変わりました。見に来てください』と言ってきて練習場に行くと、もう
本当に別人のように変わっていました。多分、突き放したことで自分でやらなければいけないんだという自覚が芽生えたんでしょうね。自ら強くなろうという気持ちが伝わってきて、子どもって短期間にこれだけ成長するんだということを私自身が子どもから学びましたね」

時折、父としての顔をのぞかせながら語る櫻井さん。練習場でも、学校の行き帰りも一緒で、常にすぐそばで娘の成長を見守ってきた。まだパリ五輪代表が決まっていないときのインタビューで、つぐみさんへの期待をプレッシャーにならないよう気遣いながら、こんな風に語っていた。

【櫻井優史さん】
「女子は特にパリオリンピックで日本代表になることがとても険しい道のりです。
日本には世界トップクラスの選手が何人もいるので。その強豪を破って代表になることは本当に大変だと思いますが、そこを抜けて世界でしっかりと自分の力を出し切れば、ぐっとオリンピック代表が近づくんじゃないかと思います」

このあと、つぐみさんは絶体絶命の大ピンチに見舞われることもあったが、日本代表の座を勝ち取り、夢の舞台で安定した実力を見せつけ、金メダルを獲得することになる。このときのインタビューで、櫻井さんは自身の夢としてオリンピックについて触れていた。

 【櫻井優史さん】
「これまで子どもたちがインターハイや国体、世界選手権などいろいろな大会で優勝してくれました。とれていないのはやはりオリンピック。それを夢みて今まで頑張ってきたので、1人でも多く代表の切符をつかんでもらいたいし、その先に、金メダル。『パリで金をとる』私もその夢を諦めずに応援していけたらと思っています。そして最終的には、高知を「レスリング王国」に、それを最大の目標にこれからも頑張っていきます」

出身地・香南市で祝福を受けるつぐみさんと櫻井さん

このインタビューから約1年8か月後、櫻井さんが幼い頃から育てた2人の選手が、高知に金メダルを持って帰ってきた。指導者としての長年の夢が叶い、次に見据えるのは「高知をレスリング王国に」。2人の金メダリストが誕生したことで、その最大の目標にも確実に近づいている。

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