広島新庄で高校野球に心血を注いだ元球児が「小柄な体格でもプレーヤーとして不利なく勝負できる」とボートレースの世界に挑戦し、17日デビュー戦を迎える。小林礼央選手(21)は大きな夢を抱いてスタートの瞬間を待つ。
広島県三原市出身。野球が好きな父親の影響で小学校からプレーを始め、高校は強豪の広島新庄に進んだ。2年の秋から内野手としてベンチに入り、2019年秋季県大会では代打で途中出場。チームは中国大会4強の成績が評価され、20年春のセンバツ出場の切符をつかんだ。
ところが新型コロナウイルスの流行に世界中が巻き込まれ、センバツ大会の中止が決定。さらに夏の大会も中止となって目標が消えた。
「野球はもういいや」。幼いころからの夢だった甲子園出場がなくなった喪失感に襲われ、プレーに対する情熱は薄れた。
日々の練習や試合の中で体格の大きい選手にはパワーの面で劣っていることを肌で感じてもいたため、不完全燃焼だったがプレーヤーとして区切りをつけることにした。
今後の進路はどうしようか。親しくしてくれた野球部の寮母さんに相談したところ「ボートレースは向いているんじゃない」と言ってくれた。
その時はアドバイスを深くとらえず、スポーツトレーナーを目指し大学進学を選択した。選手を支える立場でスポーツに関わっていこうと思っていた。
大学に入ってから、やっぱりプレーヤーとして再び競技に戻りたいという思いがムクムクとわいてきた。寮母さんの話が頭の中によみがえり「身長163センチでも勝負できる」と決意を固め、大学1年の夏に退学してボートレーサーを志した。
第一歩はボートレーサー養成所(福岡県柳川市)に入る試験に合格すること。退学後の約2年間は自主トレーニングを重ねて体をつくった。高校時代は体重を増やしてパワーをつけるために食事をたくさんとっていたが、ボートレースは体重が軽い方が有利。栄養バランスを考えながら食事をコントロールし、苦しみながらも約7キロ減量した。
23年4月に養成所に合格し、約1年かけてボートの操縦やモーターの整備などを学んだ。養成所の日々は厳しい。午前6時に起床して点呼を取り、その後は分刻みのスケジュール。外出は制限され、携帯電話は禁止。家族との連絡は決まった時間の電話だけ。ストレスも感じたが、応援してくれる家族や友人にかっこいい姿を見せたい思いで乗り越えた。24年3月、養成所の同期25人とともに卒業した。
デビュー戦は17~22日、宮島ボートレース場(廿日市市宮島口)の「にっぽん未来プロジェクト競走in宮島」。小林選手はスピードを保ったまま外側のコーナーを回るのを得意としており、レースで生かせるかが鍵になる。
ボートレースには、レース初勝利や節目の勝利を挙げた選手が水面に投げ込まれる「水神祭」という恒例行事がある。小林選手は「無事故で完走したいが、やるからには1着になり水神祭をあげたい」と意気込んだ。【井村陸】
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