11月24日、クラブとしてのラストマッチに臨んだソニー仙台FC。誕生から56年、半世紀以上にわたって地域とともに歩んできたクラブの歴史は、多くの人の心の中で生き続けます。
24日、宮城県利府町で行われたソニー仙台のラストマッチ。クラブの最後の雄姿を見届けようと、1500人を超えるサポーターが駆け付けました。
サポーター
「宮城に引っ越してきて20年、その間の15年応援してきた。これから毎日どうやって楽しみを見つけようかと思うくらい寂しい」
「(応援が)家族の絆の源になっていつも楽しい思いをさせていただきました」
1968年に社内同好会として発足したソニー仙台FCは1997年、アマチュアサッカーの最高峰ジャパンフットボールリーグ、現在のJFLに昇格。東日本大震災も乗り越え、2015年には悲願のJFL初優勝を果たしました。
そんなソニー仙台が、今シーズン限りでのクラブ解散を発表したのは今年9月。56年の歴史に幕を下ろすこととなりました。
ソニー仙台FC 鈴木淳監督
「古くから宮城県を代表するようなチームで、そして馴染みのあるチーム。活動終了ということで残念ではあるんですけど、チーム一丸となって戦っていきたい」
半世紀以上の歴史を持つクラブの解散。ラストマッチを前に選手は特別な思いを抱えていました。
ソニー仙台FC 秋元佑太選手
「小さい頃から家が近かったのもあって、本当に身近な存在でした」
仙台市出身、ソニー仙台一筋の秋元佑太選手です。クラブがJFLを制した年に入団した秋元選手。今年で在籍10年目になりました。
ソニー仙台FC 秋元佑太選手
「最後にPKを決めて優勝できたのはすごくうれしいことだったんですけど、あんまりチームに貢献できていなかった。主力として活躍して優勝したいという思いでこの10年やってきた」
もう一度、あの喜びを。強い思いで過ごしてきた10年間。
ソニー仙台FC 秋元佑太選手
「(クラブ解散に)いろんな気持ちはありますけど、今まで築き上げてくださった方々の思いも胸に秘めて全力で戦いたい」
迎えた最終戦。直前のケガの影響もあり、秋元選手は残念ながら欠場。それでもスタンドからその思いを仲間たちに託します。相手はJFL優勝を果たし、J3昇格を決めている強豪・栃木シティ。ソニー仙台は試合序盤から劣勢を強いられますが、キーパーを中心に全員で粘りの守備!波状攻撃を浴びながら、なんとか1点ビハインドで試合を折り返します。勝利を収め、クラブとしての有終の美を。後半、サポーターの声援を背に選手たちは相手ゴールに何度も迫りますが、惜しくも試合終了を迎えました。クラブとしての最終戦を勝利で飾れなかったソニー仙台。それでも…
サポーター
「諦めずに最後まで戦っている姿に感動しました。これからも違う場所でも応援していきたい」
「自分の娘はチームの記録員になるために小学校からずっと頑張って入社することができた」
「震災を乗り越えてコロナも乗り越えて、生き方というか頑張る気持ちを忘れないというのを教えてもらった」
地域とともに歩み続けた56年。クラブが紡いだその思いは多くの人の胸の中で確かに生き続けます。
ソニー仙台FC 秋元佑太選手
「ソニー仙台FC魂を僕も皆さんも胸に刻まれてると思うので、その魂を背負って生きていきたいなと思います。ソニー仙台FCに関わったすべての皆様、本当にありがとうございました」
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