【詳しくはこちら】鬼谷慶子が銀メダル陸上女子円盤投げ

夫・健太さんの支え力にパラ陸上の世界に

鬼谷慶子選手は、20歳の時に「ビッカースタッフ型脳幹脳炎」という難病を発症し、左手足に力が入らなくなって電動車いすの生活になりました。

生活が一変し、目標を見失って家にこもりがちになった当時を鬼谷選手はこう振り返ります。

鬼谷慶子 選手
「日常生活でも諦めることが多くなり、それがだんだん普通になっていった。長いトンネルの中にいるようだった」

そんな鬼谷選手を支えたのが、病気になる前からつきあっていた健太さんでした。

杭州アジアパラ大会(2023年10月)

健太さんや、同じ高知市出身で車いすラグビーの池透暢選手に勧められ、ボッチャやアーチェリーなどのパラスポーツに挑戦するようになり、去年4月、高校時代に打ち込んでいた円盤投げに再び挑戦、パラ陸上の世界に飛び込びました。

日常生活はもちろん、練習や試合でも健太さんの存在は欠かせません。

鬼谷選手を電動車いすから投てき台に移動させるなどの介助のほか、同じ投てき競技の経験がある健太さんと意見を出し合って練習を進めています。

夫婦でとことん話し合い練習重ね急成長

どうしたら飛距離をもっと伸ばせるのか。

思ったことは包み隠さず、とことん話し合って何度でもアイデアを試す。

夫婦だからできる練習を積み重ね、急成長を遂げました。

仕事と両立させてサポートを続ける健太さんに、鬼谷選手は当初、申し訳ないという気持ちも大きかったといいますが「全力で応援してくれるのでもっと自分が全力で返そうという気持ちになった」といいます。

そして、健太さんも、前向きに挑戦する鬼谷選手の姿に大きな刺激をもらっているといいます。

健太さん
「近くで見られるのが幸せで、自分もパワーをもらえて仕事頑張ろうみたいな気持ちになる」

二人三脚でつかんだ「銀」

そして2日の決勝も、鬼谷選手のかたわらには、健太さんの姿がありました。

最後の練習のあと、2人で確認したのは「手よりも体を早く動かすことを意識しよう」ということ。

そして「そのことばだけを考えた」という1回目の投てき。

15メートル69センチとみずからが持つアジア記録を1メートル以上更新すると、2回目で15メートル78センチとさらに記録を伸ばし、銀メダルを獲得しました。

日本パラ陸上競技連盟によりますと、この種目で日本選手がメダルを獲得するのは、2004年のアテネ大会以来、20年ぶりの快挙だということです。

夫婦ともに お互いに感謝のことば

投てきを終えると、鬼谷選手は涙を流しながら語りました。

鬼谷慶子 選手
「いろいろな人に支えられてこの場に来られたことを思い出していた。本当に夢なんじゃないかと思うくらい信じられない。夫に感謝しきれないくらい感謝している」

健太さんも涙をこらえながら、鬼谷選手に寄り添い、ねぎらいのことばをかけました。

健太さん
「本当に誇らしく思う。一番近くで見られて幸せです」

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