卓球男子ダブルス(車いす8)1回戦、第3ゲームで球を返す七野一輝(左)、斉藤元希組=パリ南アリーナで2024年8月29日、玉城達郎撮影

パリ・パラリンピック 卓球男子ダブルス(車いす8) 準々決勝(30日、パリ南アリーナ)

七野一輝選手(25)=オカムラ 準々決勝敗退

 東京パラリンピックに僅かに届かなかった3年前とは、文字通り大きく姿を変えた。

 つえを持って立ってプレーすることは諦め、今は座りながらラケットを握る。逆境をプラスに変えた卓球男子の七野一輝選手(25)=オカムラ=が、初めてパラリンピックの舞台に挑んだ。

 同じ車いすの斉藤元希選手(23)=プランテック=とペアを組んだ男子ダブルス(車いす8)1回戦は、日本代表としての初陣でもあった。緊張のせいかオーストラリアのペアを相手に、立ち上がりは連続失点した。

 経験したことがない大観衆の雰囲気に圧倒されたが、親族や指導者の顔が見えて、ひと呼吸できた。本来の力強いスマッシュが決まり始めると、自然とガッツポーズも出た。終わってみればストレート勝ちだった。

 強敵のタイのペアと対戦した次の準々決勝は、相手の正確なリターンに攻撃の糸口をつかめなかった。「自分の良さを生かし切れなかった」と敗れたものの「試合を楽しめた」と充実した表情を見せた。

 先天性の「二分脊椎(せきつい)」と呼ばれる脊髄の病気で、幼少期から両脚に力が入らなかった。つえをつき始めたのは、部活動で卓球を始めた中学生の時だ。立位のクラス6でプレーしていた頃はけがの連続で、東京大会は代表入りを逃した。

 競技人生の転機は思わぬ形で訪れた。2022年4月の練習中に転倒して右太ももを肉離れし、元々状態が悪かった股関節がさらに悪化した。

 「立位で戦い続けるのは、転倒の危険性が高すぎる」

 パリ以降の予定だった車いすへの転向を前倒しした。

 9歳の頃から日常生活で車いすを使ってきた。しかし、立位の時と高さや大きさは変わらないのに、車いすで卓球台に向き合うと違和感は拭えなかった。パリまで2年あまりという期限は厳しいと感じた。

 一番戸惑ったのは、サーブだ。これまでは左手につえがあり、サーブはラケットを持つ右手でボールをトスしていた。車いすになって両手が空いたが、左手でボールを上げる感覚はなじめなかった。

 一方、プラスの効果も大きかった。車いすに乗ることで、不安定なつえに比べて力が入りやすくなった。転向から1年足らずの23年3月、車いすの男子シングルスの「クラス4」で挑んだ初の国際大会でいきなり優勝した。立位では2桁だった世界ランキングでトップ5に入り、代表入りの内定が決まった瞬間は両親とともに喜びを分かち合った。

 「とにかく悔いが残らないように。最高のパフォーマンスを見せたい」と繰り返す。3年前は想像もしなかった道のりの先に待っていた、初めての夢舞台。残るシングルスの戦いに、全てを出し切る。【パリ川村咲平】

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