初めての練習を終えた藤原芽花さん(中央)ら「車いすバスケ部門」のメンバー=京都市北区の佛教大で2024年7月12日午後4時57分、中田博維撮影

 最初は3人でのスタートだった。佛教大(京都市北区)の体育会本部バスケットボール部に「車いす部門」が誕生した。部員も徐々に増え、9月には初の大会参加も決まった。設立の中心となり、自らも車いす生活を送る教育学部4年の藤原芽花(めいか)さん(23)は「パラスポーツに出会って人生の選択肢が広がった。より多くの人に車いすバスケを体験してほしい」と話す。2028年ロサンゼルス・パラリンピックを夢見て、日本から28日開幕のパリ大会を見つめる。

歩けなくなっても「絶望」はなく

 藤原さんが歩けなくなったのが21年。2年生になってすぐの5月のことだった。ハンドボール部の練習中に転倒し、腰に痛みを覚えた。最初は、高校時代に発症した椎間板(ついかんばん)ヘルニアの再発だと思った。手術をしたが、「左足に感覚がない。(歩くのは)無理かもしれない」。リハビリ専門の病院に転院したものの状況は変わらない。そればかりか、本人の意思とは無関係に異常な運動が起こる「不随意運動」も出始めた。半年間、検査や転院を繰り返したが好転はせず、今も原因は分からないままだ。

 「でも、絶望という感じはなかったんです」。もともとスポーツが大好き。小学1年から父が監督を務めるチームで始めたサッカーを中学まで続け、高校はハンドボールの強豪・洛北(京都)で高校総体にも出場した。つらいはずのリハビリもトレーニング感覚で積極的に取り組み、入院中から「何かスポーツに取り組んでみよう」と考えていた。

初めての練習でシュートをする池田博昭さん(手前)と藤原芽花さん=京都市北区の佛教大で2024年7月12日午後4時42分、中田博維撮影

 調べているうちに、車いすハンドボールの存在を知った。21年末の退院後すぐに参加するつもりだった体験会は、コロナの影響で翌年4月に延期された。だが、そこで知り合った人の勧めで翌週はソフトボール、さらにカヌーなどの車いす生活者でも参加できる競技に挑み、現在はパラアイスホッケーにも力を注ぐ。車いすバスケでは、京都や大阪を拠点に東京パラリンピックに5人の日本代表を送り込んだ女子の強豪チーム「カクテル」のメンバーとして活動中で、目標に28年のロサンゼルス・パラリンピック出場を掲げる。

「車いすで走れるんだ」

 走ることが大好きだった藤原さん。病気になってからは他にどんなに楽しいことがあっても、もう走れないんだなと思うこともあったが、「車いすで走れるんだ。世界が広がり、私自身も救われた」と感じるようになった。

 それだけに、多くの人に車いすバスケに興味を持ってほしいと思う。その願いに大学も応え、車いすバスケの体験会を今年1月から3回実施した。最初は職員を含め約10人だった参加者が回を重ねるごとに増え、5月の3回目は学生だけで約30人になった。「ぜひ、やってみたい」という学生が多かったことから「部設立」が具体化。サークルから設立すると部昇格まで時間がかかることなどから、既存のバスケ部の一部門という形になった。

 ただ競技としてプレーする学生は全国的に少ない。日本車いすバスケットボール大学連盟代表の深川大さん(30)によると、かつては10チーム以上が出場していた大学選手権は昨年で計4チーム。うち3チームが信州大(長野)など東日本に偏っており、残り一つは学校が異なる選手が集まった合同チームだった。

健常者もメンバー

 自身は健常者で今も競技を続ける深川代表は「むしろ大学では健常者の方が多い」というが、競技用車いすが高価なことに加え、熱心な学生が卒業すると部が廃れてしまうこともあるという。

初めての練習をした(左から)笹井俊吾さん、池田博昭さん、藤原芽花さん=京都市北区の佛教大で2024年7月12日午後4時56分、中田博維撮影

 西日本では、22年にサークルとして設立され今春から部に昇格した宝塚医療大(兵庫)が今夏の選手権出場を目指しているが、まだ少ないのが現状だ。深川代表は「西日本の大学が関わってくれるのは喜ばしい。最大限のサポートをしたい」と佛教大にも期待する。

 7月12日に同大体育館であった初練習には藤原さんを含む3人が参加した。競技用車いすを使っての動きを繰り返した後にボールを使ってのシュート練習。「体験会がおもしろかったので」と加わった社会福祉学部3年の池田博昭さん(20)は健常者。車いすの扱いは苦労したが、中学時代のバスケ経験を生かしシュート練習でゴールを決め「思った以上に楽しかった。基礎を固めて試合をやってみたい」と語る。

 一方、慣れた様子でボールや車いすを扱っていたのが、中学時代の病気をきっかけに車いす生活を送る同学部3年の笹井俊吾さん(22)。滋賀県のチーム「LAKE SHIGA」でもプレーする本格派で、「練習時間が増えるし、ここでも多くの仲間をつくりたい」と話していた。

 3人だった部員は7人に増えた。9月15日に行われる大会「ビリケンカップ」への参加も決まり、週2回の練習を重ねている。藤原さんは「障害者といっても、まったく同じ障害を持つ人はいない。できること、できないこと、本当にさまざまで、(健常者を含め)いろんな人が集まって競技する。そこが魅力。まずは部員を増やして、佛教大に車いすバスケを根付かせたい」と意気込んでいる。【中田博維】

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。