第106回全国高校野球選手権大会で、念願の甲子園1勝を果たした茨城代表の霞ケ浦。「甲子園に校歌を響かせたい」。その思い一つで、夏3度目にして壁を乗り越えた。成長をとげた、チームの軌跡を振り返る。

 「(バットを)振ってくる相手ほど、エースの市村(才樹)の投球は、はまる。いい試合ができるかもしれない」

 甲子園の組み合わせ抽選会で、強打を誇る智弁和歌山との初戦が決まると、霞ケ浦の高橋祐二監督(65)には、こんな考えが早々に浮かんでいた。

 市村は2年生ながら身長187センチ体重76キロ。球速は最速130キロの技巧派の投手だ。

 茨城大会では4試合21イニングを投げ自責点は4。決して打たれない投手ではなかったが、その身長と長い左腕から繰り出す球は、打者にとってなじみが薄い、独特の角度がある。

 試合まで1週間あまりの期間、市村は投球練習を普段の半分ほどに抑えさせつつ、フォームを整えて力まず投げることに集中していた。

 そして、初戦。市村は80キロ台と90キロ台の2種類のスローカーブを軸にしつつ、それより40キロ近く速い直球を要所で投げ、相手打線を翻弄(ほんろう)。七回まで散発3安打に抑えた。

 特に「選球眼がいい」と高橋監督が警戒し、和歌山大会でチーム最多タイの9安打を放った1番の福元聖矢(2年)には、対戦した4打席で1度も出塁を許さなかった。試合の流れを相手に渡さない一因になった。

 一方、八回裏に智弁和歌山に同点に追いつかれてからの霞ケ浦の戦いには、執念が宿っていた。

 「勝って甲子園に校歌を響かせたい」という、先輩たちの思いを背負っているようだった。霞ケ浦が初めて甲子園に出場したのは、1990年の選抜大会。夏も2015年、19年と2度出場していたが、いずれも初戦敗退だった。

 今年のチームの持ち味が、主将の市川晟太(3年)を中心に、夏の大会を勝ち上がるなかで培った「団結力」だったことも、選手たちがくじけず戦い抜く後押しになったのかもしれない。

 炎天下で延長11回、2時間41分に及んだこの試合には、八回裏から継投した背番号10の真仲唯歩(3年)をはじめ、ベンチ入りの20人中14人が出場。「団結力」を象徴する、総力戦での勝利だった。

 「一つひとつ勝ち上がるなかで、みんなが自分の役割をしっかりと意識し、動けるようになった。最高のチームになれた」

 校歌を歌う主将の市川の表情は、晴れ晴れとしていた。力を出し尽くしたから、なのかもしれない。

 3日後の3回戦は滋賀学園戦。霞ケ浦は投打に精彩を欠いた。

 先発した市村は、相手打線によるスローカーブ対策を念頭に、直球とスライダーを主体にした投球で挑んだ。しかし、狙い球を絞られ初回から失点。五回までに9安打を許した。

 調子を上げていた打線も、相手内野陣の好守備に阻まれた。

 それでも九回裏、主将の市川を、3年間で初めてとなる公式戦の打席に立たせようと、打線をつないだ。1点を返し、代打で出た市川は死球で出塁。2死一、二塁まで好機を広げ、見せ場をつくった。

 最後まで、持ち味の「団結力」を貫いた。(古庄暢)

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