西竹一から託されたバッジを手にする(右から)松本生さん、田中利幸選手、根岸淳監督=熊谷市内で2024年8月21日午後3時58分、隈元浩彦撮影

 パリ五輪総合馬術団体で銅メダルに輝いた日本代表。田中利幸選手(39)と根岸淳監督(47)は21日、埼玉県熊谷市玉井の社会福祉法人「はなぶさ苑」に、1932年のロサンゼルス大会で金を獲得した西竹一(1902~45年)の義理の甥で、同法人理事の松本生(すすむ)さん(88)を訪ね、馬術競技として92年ぶりのメダル獲得を報告した。田中選手は「西さんは雲の上の存在。いつかは抜きたい」とレジェンドへの挑戦を誓った。【隈元浩彦】

 田中選手は大岩義明(48)、戸本一真(41)、北島隆三(38)の3選手とともに快挙を果たした。根岸監督が名付けた「初老ジャパン」というチームの愛称が一躍広まるとともに、「バロン西」と世界から称賛された92年前の金メダリストにも注目が集まった。その西の妻と、松本さんの母親は姉妹で、松本さんにとって西は義理の伯父に当たる。

 この日、はなぶさ苑の職員ら約30人に拍手で迎えられ、花束を受け取った田中選手は松本さんらにメダルを披露した。

 松本さんは「金メダルから92年たった今も多くの方の心の中に西が生き続けていたのは驚き。肉親の一人として、その記憶に改めて光を当てていただいた今回の快挙に感謝です」とねぎらいの言葉を述べた。田中選手は前日に東京都内の日本オリンピックミュージアムで西愛用の乗馬靴を見てきたと明かし、「歴史が残っている驚きと、深い感慨を覚えました」と語った。

 西はロス市から名誉市民の称号が贈られるなど米国社会に親しまれたが、陸軍将校として日米両軍が激突した硫黄島の戦いで戦死した。松本さんは、硫黄島に向かう直前の西から「形見に」と託されたバッジを披露。銅メダルとバッジを見せ合う一幕もあった。田中選手らは騎乗した愛馬との関係などを交えながら馬術競技の魅力を語り、職員から盛んに拍手が送られた。

 毎日新聞の取材に、根岸監督は「西竹一さんの名は日本馬術界にとってレジェンド。メダルの色は違いますが、92年を経て、ようやくここまでたどり着けたかと思っています。この間に多くの先人がいましたが、その源流に西さんがいると思っています」。また、田中選手は「西さんはロスで金メダルを取りました。そして、4年後の五輪もロスで開かれます。ええ、やりますとも」と秘めた決意を明かした。

 今回の訪問は、松本さんが田中選手らの所属する乗馬クラブクレインに、西と松本さんの秘話を紹介する毎日新聞の記事を添え、お祝いの手紙を送ったことが縁となり実現した。

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