(21日、第106回全国高校野球選手権大会準決勝 神村学園1ー2関東第一)
28年前、「奇跡のバックホーム」と称される伝説のプレーが生まれた。決勝の延長十回、松山商の右翼手がノーバウンドの好返球。タッチアップの熊本工の走者をアウトにした。
あの日と同じ8月21日。関東第一の1点リードで迎えた九回2死一、二塁の守り。神村学園の代打・玉城功大の鋭い打球が二遊間を抜ける。中堅手・飛田優悟は前進して球をつかみ、勢いよく本塁へ。送球はノーバウンドでミットに届く。「ストライクボールだ。これは行ける」と捕手の熊谷俊乃介は、飛び込んできた二塁走者に、確信を持って両手でタッチした。一瞬の間の後、球審の右手が挙がった。
神村学園の二塁走者、岩下吏玖は「(スタートは)完璧だったと思う。三塁ベースを回るのもミスはなかった」とうなだれた。
好返球を生んだのは、内外野の確かな連係と、日々の鍛錬だった。遊撃手の市川歩は「左打者は坂井遼の球威に押されると思った」と三塁側に寄り、飛田に合図した。前に転がった打球はよろしく、と。
飛田も頭上は越えないと判断し、定位置より少し前へ。さらに一歩目を素早く切れるよう、体の重心を前に傾けた。これが打球が転がった瞬間の猛チャージにつながった。あとは普段の練習から徹底してきた「本塁ベースをめがけて、低く強い返球」をするだけだった。飛田は10、20球の本塁へのストライク送球の練習を重ねていた。
米沢監督は言う。「あの一瞬だけじゃなく、その前の準備でアウトにするためのことをやっていたと思う」
28年前の夏、強肩の右翼手はノーバウンドで投げられるギリギリの位置で守っていた。
奇跡ではない。必然のバックホームだった。(大坂尚子)
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