(15日、第106回全国高校野球選手権大会2回戦 島根・大社5―4長崎・創成館)

 十回表、タイブレークで大社に1点勝ち越された場面。創成館の選手たちはマウンドに集まり円陣を組んだ。

 六回から登板した主戦の村田昊徽(ごうき)投手(3年)に向段泰一郎主将(3年)は「気持ちで負けるなよ」と声を掛け、村田投手は「任せろ」と応えた。

 村田投手は夏の地方大会前にエースナンバーを獲得した。本人は「それまで弱気な自分と戦ってきた」と振り返るが、この日、その弱さはなかった。

 昨年夏、2年生で甲子園に出場した際、向段主将と村田投手は大阪府内のホテルで約束をした。

 「いっしょにチームを引っ張って、また甲子園に来よう」

 2人は小学校時代は福岡県の同じリーグに所属していて顔なじみ。中学時代は同じ少年野球チームに所属していた。「仲間がいると心強い」と、いっしょに創成館に入った。

 村田投手は新チームの発足直後から不調になった。それまでは、3年について行っていたが、いざ主戦を狙おうと思うとプレッシャーがかかったのだ。

 腕が思い切り振れない。ストライクが入らない上に、それまで最速140キロだった速球も130キロに落ちた。

 向段主将は中学時代からずっと村田投手のバックを守ってきた。球の軌道で好不調が分かるほどだ。寮の自室を訪ねてくる村田投手を元気づけた。「エースを狙わなくてもいいのでは」と、わざと突き放したこともある。

 村田投手は自分で自分に重圧をかけていることに気づいた。主戦になることは考えず、次の試合のことだけを考えることにした。すると、だんだん調子が上がってきた。

 向段主将は4月の終わりに肺から空気が漏れる気胸になった。息が苦しくて病院に運ばれ手術。約1カ月の入院生活を送った。

 向段主将がいないチームで変化が起こった。村田投手らが「しっかり者の主将に負担をかけすぎていた」とみんなに声をかけた。チームは注意点を言い合うようになり団結。お陰で、長崎大会を勝ち抜いた。

 接戦の末、惜しくも大社に敗れたこの日、試合を終えた向段主将は「ずっと、切磋琢磨(せっさたくま)してやってきた。村田には感謝しかない」と話した。

 村田投手は「厳しい時も向段の支えがあった。大変だったけど、今は高校野球がもうちょっと続いてもいいと思える」と振り返った。(天野光一)

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