多くのドラマを生んだパリオリンピックは日本時間の12日朝閉幕しました。

鹿児島県関係では8人の選手がオリンピックに出場、私たちにたくさんの感動を残してくれた17日間を振り返ります。

日本時間の7月27日に開幕したパリオリンピック。
最初に鹿児島にメダルをもたらしたのは、3年間“技”を研き続けてきた男でした。

鹿屋体育大学出身・25歳の杉野正尭選手。
体操男子団体、決勝。エースが不調であえぐなか、安定した演技を見せます。

そして、鉄棒でもミスなしの完璧な演技。
初めてのオリンピックで金メダルに輝き、種目別でも2種目で入賞を果たしました。

杉野正尭選手
「オリンピックは憧れの舞台で、ずっと思い続けてやり続けて東京の時の悔しさをバネにここまでやって来て本当に良かった。感謝でいっぱいです」


柔道の混合団体には鹿児島南高校出身・29歳の高山莉加選手が出場。
自分より階級が1つ上で個人戦銅メダルの選手と対戦しました。

高山選手は軽々と持ち上げられる場面もありましたが、一瞬の技にかけていました。
諦めない気持ちが勝利に繋がりました。
高山選手の活躍もあり日本は2大会連続の銀メダルを獲得しました。

高山莉加選手
「自分より大きな相手だったのでがむしゃらにポイントを取りに行こうと思って戦いました」


フェンシングでは未来の日本のエースが躍動しました。
女子サーブル団体に出場した鹿児島南高校出身・21歳の尾崎世梨選手。
リザーブ登録ながら、強豪・フランス相手に勢いのあるアタックで次々とポイントを奪います。
日本に流れをもたらし、サーブル団体では史上初の銅メダルを獲得しました。

尾崎世梨選手
「今回のオリンピックを自分たちの自信につなげてさらに強くなりたい」


男子7人制ラグビー、鹿児島市出身・24歳の松本純弥選手。その姿は鹿児島にも勇気を与えました。

松本選手の小中学時代の恩師・東隆弘さん
「この舞台に松本純弥が出ていること自体が感無量」


水球男子日本代表、鹿児島南高校出身・21歳の荻原大地選手。鹿児島市の実家では家族や友人がエールを送りました。

鹿屋市を拠点に活動するボクシング男子71キロ級・28歳の岡澤セオン選手は、優勝も期待されましたが、初戦、判定負けでまさかの敗退。

自転車トラックレース、男子チームパシュートには鹿屋体育大学出身・30歳の橋本英也選手が出場しました。


そして、大会最終日の11日行われた女子マラソン。
出水市出身、27歳の一山麻緒選手が出場しました。

地元ではパブリックビューイングが行われおよそ550人が集まり声援を送りました。


手作りうちわの女性
「MAOちゃんの文字を、凱旋門とエッフェル塔と金メダルで表現しました」

一山選手の母校・出水中央高校女子駅伝部
「麻緒先輩、頑張ってくださーい!!」


東京オリンピックでは8位入賞の一山選手。
段々と前の集団から遅れ始めます。それでもー

2回目のオリンピックを51位で走りきった一山選手は静かにコースに一礼をしました。

一山麻緒選手
「世界中の方に“JAPAN”をたくさん応援してもらって」
「そんな日本を背負って走れたことが本当にうれしかったです」

一山選手が通っていた保育園の副園長(当時)
「ちっちゃいちっちゃい麻緒ちゃんが、最後までとっても頑張って走ってうれしかったです」


鹿児島ゆかりの選手たちが輝いたパリオリンピック。
この夢の続きは、4年後、アメリカのロサンゼルスでー。

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