やり投げの世界女王に

去年の世界選手権に続いてパリオリンピックでも金メダルを獲得した北口選手は名実ともにやり投げの世界女王となりました。

印象的な笑顔がトレードマークの北口選手ですが、オリンピックの最後の投てきを終えたあとは涙を流していました。

これまでに直面してきた多くの困難を乗り越えて、頂点に立った涙だと感じました。

高校時代からやり投げを始めた北口選手はわずか1年でインターハイを制しさらにその翌年にはジュニア世代の世界選手権で優勝し注目を集めるようになりました。

母の反対を押し切って

やり投げで生きていきたいと考えるようになっていた北口選手でしたが、バスケットボールの元実業団選手でスポーツで生きていくことの厳しさを知っている母親には反対されたといいます。

インターハイで優勝(2015年)

娘には先の見えない人生より安定した道に進んでほしいと願う母の思いを知った北口選手は「同じ道を歩むことになってごめんなさい」と伝えたといいます。

この時、一緒に涙を流してくれた母の思いに応えるため、北口選手は「やり投げを極める。やるからには世界のトップを目指す」と揺るがない覚悟を決めました。

“やり投げ王国”チェコへ

それでも、その後は多くの困難が立ちはだかりました。

オリンピックに出場経験のある指導者を求めて大学に進学したものの2年生のときに退任し、国内の大会では勝てない日々が続きました。

そこで、やり投げの強豪国、チェコに渡る決意をしました。

チェコで師事するダヴィッド・セケラックコーチと

このとき北口選手を突き動かしたのも「世界一になる」という覚悟でした。

女子選手には難しいとされる体をひねって遠心力を使う“チェコ流”の投げ方を学び、大学4年生になった時には当時の日本記録更新するまでになりました。

ところが、その後も困難は続きます。

東京五輪では悔し涙(2021年)

オリンピック初出場となった前回の東京大会では、コンディションを整えることができず、決勝で12位に終わり、悔し涙を流しました。

その後、北口選手はいちから体作りを見直し上半身の柔軟性を生かしたやり投げを磨きました。

その成果が結果となってあらわれたのは去年の世界選手権でした。

この種目で日本選手初めての金メダルを獲得し、一躍、パリオリンピックの金メダル候補の筆頭に挙げられるようになったのです。

「五輪 金メダル」のプレッシャー そして体調不良

その一方で、オリンピックシーズンを迎えたことし、北口選手は人知れず「オリンピックの金メダル」というプレッシャーと戦っていました。

当時のことを振り返り次のように話しました。

北口榛花 選手
「今シーズンは試合では勝って記録がそれなりに出ても、自分の中でしっくりくる感覚がほとんどなく、本当に金メダルが取れるのか。勝負できるのかという不安があった。オリンピックはもう無理かもと思っていた」

さらにハードな練習をこなす中で体が動かなくなるような経験もして、オリンピック本番の2週間前には熱にうなされて急きょ、3日間の休みとることになるなどギリギリの調整を迫られていたといいます。

体調が回復し、いつも通り投げられるようになったのは予選の3日前の今月4日でした。

それでも、覚悟を決めてオリンピックの舞台に立った北口選手は予選を1投で突破し、決勝も最初の1投で勝負を決めました。

母親の反対を押し切ってやり投げの道に進んだ以上「世界のトップをとる」と覚悟を決めて進んできた北口選手の思いが実を結んだ瞬間でした。

決勝の合間にも笑顔を見せた

6投目を投げたあとは2回目のオリンピックでも涙を流した北口選手でしたが、前回大会とは込められた意味の異なる涙でした。

女子のフィールド種目で初めての金メダルという日本の陸上界に新たな歴史を刻んだ北口選手。

それでも「オリンピックの金メダルをとったら満足できるかなと思っていたがもっと上を目指せると思う。やり通したい」とさらなる強さを目指す“覚悟”を示しました。

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「うれしいけど うれしいだけじゃ足りない」北口榛花【全文】

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