体を大きく後ろに反らせ、腹の底から歌声を絞り出す。夏の甲子園に出場する木更津総合(千葉)には、勝利を決めた後に必ず見せる伝統行事がある。その名も「全力校歌」。選手たちの本気の歌声はスタンドを魅了するが、単なるパフォーマンスではないという。最近は同様のスタイルを見せる学校もあるが、木更津総合では13年前に誕生した名物。試合で疲れていても、全力で歌い上げる理由とは――。
始まりは13年前
「全力で声を出す習慣をつけたいし、一皮むけないといけない」。今夏の千葉大会を前に、川上泰輝主将(3年)は、毎日の練習後に全力で校歌を歌おうとチームメートに提案した。
春の県大会は2回戦で敗退。夏に勝つためには、チームとしてさらに成長しなければならないと感じていた。その足掛かりにしようと考えたのが、全力校歌の復活だった。
木更津総合の全力校歌は元々、現在はコーチの国広拓人さん(30)が主将だった2011年に始まった。秋の県大会で16強にとどまり、「このまま普通に練習して強くなれるのか」と疑問を抱いた国広さん。チーム全体で元気を出すため、毎日の練習が終わった時にありったけの大声で校歌を歌うことを習慣づけた。大きい声を出すため、体は自然とのけ反った。
国広さんは3年生の12年夏に甲子園出場を果たしたが、初戦で敗退。夢の舞台に全力校歌を響かせたいという願いはかなわなかった。だが翌年にも後輩たちが出場を決め、3回戦まで勝ち進んだ。この時、全力校歌が全国に知られることになった。
コロナ禍で一時途絶え
その後も伝統は受け継がれたが、近年は練習後にはほとんどしていなかった。特に大きな影響を受けたのが、新型コロナウイルス禍。大声で歌うのは飛沫(ひまつ)感染につながると懸念され、20年に一度、姿を消した。
国広さんはコーチとして17年に母校へ戻り、寮で選手たちと一緒に生活しながら、全国大会出場の原動力になった自身の経験を伝えてきた。特に川上主将には、全力校歌が受け継がれてきた経緯を主将の先輩として話した。
川上主将が全力校歌を提案すると、仲間の反応は良く、久々に名物がグラウンドに戻った。羽根徹平選手(3年)は「最後に校歌を思いっきり歌うことで『明日もやってやろう』と一日を終えられる。自分たちにはこれが必要」と話すなど、チームメートの評判も上々となった。
全力校歌の効果もあってか、甲子園の切符をつかみ取った木更津総合。ナインの次の目標は、聖地で全力校歌を披露することだ。【林帆南】
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