パレスチナのオマル・ヤーセルイスマイル選手(18)は両親がヨルダン川西岸のパレスチナ暫定自治区出身で、自身はUAE=アラブ首長国連邦で生まれ育ちました。

9歳の時、友人とテコンドー道場を訪れたことがきっかけで競技を始め、身体能力の高さと手足の長さを生かした攻撃で頭角を現しました。

パレスチナは、1996年のアトランタオリンピックから選手が参加するようになり、これまでは推薦枠での参加でしたが、今回、ヤーセルイスマイル選手はパレスチナ史上初めて、予選を勝ち抜いて、オリンピック出場の切符を自力で手に入れました。

パレスチナを心のふるさとだと感じるというヤーセルイスマイル選手は、パレスチナで続くイスラエル軍による攻撃で現地に住む親戚や知り合いなどを失い、大きな悲しみに直面しながらも、練習に専念してきたといいます。

ことし6月、UAEでNHKの取材に応じたヤーセルイスマイル選手は「ふるさとで起きていることに衝撃を受けている。今は、試合に集中するためできるかぎりSNSは見ないようにしているが、ガザで起きていることを決して忘れてはいけない」と苦しい胸の内を明かしました。

そのうえで「私たち選手が活躍して、パレスチナの子どもたちのお手本になれば、きっと子どもたちも自分の夢も実現できるというやる気につながると思う。私の目標は金メダルで、それを成し遂げる自信もある」と述べ、ふるさとに初めてのメダルを持ち帰る決意を語っていました。

ヤーセルイスマイル選手は、今は一刻も早い停戦が必要としたうえで「まずは戦争という色眼鏡なしにパレスチナ選手たちの試合を純粋に見てほしい。私たちの実力を見てほしい。そのうえで世界の人々が私たちが伝えたいメッセージに耳を傾けてくれたらうれしい」と話していました。

ヤーセルイスマイル選手 五輪初勝利 2戦目で敗れる

パレスチナのガザ地区での大規模な戦闘が始まってから10か月となる7日、ヤーセルイスマイル選手は初戦を迎えました。

名前が会場で紹介されると、観客から大きな拍手が送られたほか、パレスチナの旗を振って応援する人の姿もみられました。

試合では、長いリーチを生かした蹴りで果敢に攻め込み、相手に次々と蹴りを決めていきました。

終始リードを奪い、2ラウンドを連取して、自身にとって、オリンピックでの初勝利を収めました。

試合後、ヤーセルイスマイル選手は「強い相手との難しい試合だった。観客がパレスチナのことを応援してくれて、勇気をもらえた。私はいつもパレスチナ、特にガザの人たちのために戦っている。パレスチナに金メダルをもたらしたい」と話していました。

続いて、ヤーセルイスマイル選手は準々決勝進出をかけてスペインの選手と対戦しましたが、あと一歩及ばず、敗れました。

試合終了後、悔しがるヤーセルイスマイル選手を対戦相手が抱き寄せ、会場からも健闘をたたえる惜しみない拍手が送られました。

対戦したスペインの選手が決勝に進んだ場合、ヤーセルイスマイル選手は銅メダルを目指す敗者復活戦にまわります。

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