レスリング男子グレコローマンスタイル60キロ級 決勝(6日・シャンドマルス・アリーナ)
文田健一郎選手(28)=ミキハウス 金メダル
「五輪の借りは 五輪で返せ!」
文田選手の地元・山梨県の韮崎駅前には大きな懸垂幕がかかっている。「最初はびっくりして、家族で笑ってしまった。そんなにはっきり言われるんだ、みたいな。でもそれくらい期待してもらっているし、3年前の銀を悔しがってくれていると考えたら、本当にありがたいことだなって」
金メダルの最有力候補として臨んだ東京オリンピックは、得意の投げ技を徹底的に封じられて、リズムに乗れずに決勝で敗れた。一見すれば「よく頑張った」とも取れる結果だが、文田選手は「金メダルを取ることが重要だった」。1週間ほどは、朝までお酒を飲んでから寝て、昼過ぎに起きるような日々を続け、「ダメ人間みたいな生活」を送ったと、苦笑いしながら振り返る。
前を向かせてくれたのは、家族や仲間の存在だった。東京五輪から数週間後、妻有美さん(37)とどちらからともなく、旅行に行こうとなった。大好きな車を運転して、関東から関西、四国の観光地などを転々と巡りながら、最後は九州までたどり着いた。その間、2人の間ではほとんどレスリングの話はしなかったが、たわいもない話をして、笑い合う時間を共有するだけで、少しずつ胸の内のモヤモヤは消えていった。
旅の終盤、山口県にいる大学時代の同期に会い、銀メダルを見せて悔しさを伝えた。思いを打ち明けるとしばらくして文田選手の中で無性にまたレスリングへの思いがこみ上げてきた。「家に帰ろう」。九州から神奈川まで、休憩を挟みながら10時間以上の運転を一人でこなし家路を急いだ。
自分のこだわりを捨て、勝つことに徹し始めた。元々は分かりやすくグレコローマンの魅力を伝えられればと、派手な投げ技に注力した練習を行ってきたが、東京五輪での反省から泥臭く着実に得点を重ねる、しぶとさを前面に出したプレースタイルに変更した。
22年世界選手権は3位、23年世界選手権は2位と国際舞台でなかなか頂点に立てずにもがいた。だが、その時間が結果的に「攻めたい時に攻めて、守りたい時に守る」と6分間の試合の中で波を作り、自分のリズムで戦う新境地を切り開いた。文田選手は「試合状況を見て、自分が感じたものを体現できるようになりつつある。それが一番強い形。いろいろな自分の経験全てが生かされて、完成したスタイル」と自信を見せた。
昨年生まれた長女遥月ちゃんの存在も力になった。「強いパパの姿を見せたい」とパリに呼び、有美さんとともに五輪会場で試合を観戦。10時間以上のフライトでは、ぐずる遥月ちゃんをあやし、涙とよだれが染みた有美さんの洋服の写真が送られてきた。「家族も毎日戦ってくれていた。そのサポートに応えられるのは金メダルしかない。全てのパフォーマンスを出しきって、今度こそ笑ってマットを下りたい」。最強のパパは、パリのマットで最高の笑顔を見せて歓声に応えた。【パリ角田直哉】
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