甚大な被害を受けているウクライナ南部出身

33歳のハルラン選手は、2022年2月に始まったロシアによる軍事侵攻で、甚大な被害を受けているウクライナ南部のミコライウ出身。

母が住む実家近くも攻撃を受け、同じ地方にある町は跡形もないほどに破壊されました。

ミコライウは大会の直前の今月19日にもロシア軍のミサイル攻撃を受け、子ども4人が死亡、20人以上がけがをするなどいまも激しい戦闘が続いています。

ウクライナのスポーツ省によりますと、国内では今月25日までに選手やコーチなど487人のスポーツ関係者が死亡しました。

また、軍事侵攻の影響でパリ大会に出場する選手は、夏のオリンピックでは過去最も少ない140人となっています。

“前に進み続けようとした”

ハルラン選手が、オリンピックに初めて出場したのは、2008年の北京大会。

個人種目では13位でしたが、女子サーブル団体では、メンバーの1人として金メダル獲得に貢献しました。

その後、前回の東京大会まで連続出場して3つのメダルを獲得し、ウクライナ国内では絶大な人気を誇るスター選手です。

しかし、軍事侵攻のあとハルラン選手の選手生活は一変しました。

ふるさとを離れて身寄りのあったイタリアに逃れ、競技を続けられることになりましたが、家族にはウクライナに残らざるを得ない人もいて、ニュースで母国の悲惨な状況を知るたびに競技のことを考えることもできないほど、気が落ち込む日々が続いたといいます。

ハルラン選手は「国に残っている人たちや国を守るために戦っている人たちは、前を向いて進み続けていた。だから私もできることをして前に進み続けようとした」と再び立ち上がりました。

“戦禍においてスポーツと政治を切り離すことなどできない”

オリンピックを目指すなかでの去年7月、イタリアで行われたパリ大会の予選を兼ねた世界選手権。

1回戦で対戦したのは『中立な個人資格の選手』として参加したロシア国籍の選手でした。軍に所属しないことなど厳しい基準をクリアした選手ではあったものの、ハルラン選手は試合に勝利したあとルールで定められた握手を拒否、失格となりました。

ハルラン選手はその時の心境を「握手拒否は心と魂でやったことでそれ以外の選択肢はなかった。人々を殺している軍隊を支持する可能性がある選手が平和を象徴するオリンピックに出場してよいのか。握手をすれば、母国での戦争は終わるのか。戦禍においてスポーツと政治を切り離すことなどできない」と話しました。

オリンピックで金メダル獲得という夢と引き換えにとった行動にウクライナ国内では称賛の声が相次ぎ、IOC=国際オリンピック委員会のバッハ会長からは特別にパリ大会の出場権を保証するという書簡が届くなど異例の対応がとられたのです。

ウクライナ選手団で今大会初メダル

そして、迎えたパリの舞台。

ハルラン選手は準決勝で地元・フランスの選手に敗れ、金メダルの道は閉ざされました。

それでも3位決定戦では、会場から「オリハ!オリハ!」と背中を押すコールが沸き起こり、逆転勝利でウクライナ選手団にとって今大会初めてのメダルを獲得しました。

ハルラン選手は、試合後、その場にひざまづいて天を仰ぐように喜びを表現し、関係者席から駆け寄ったチームの仲間などと抱き合って喜びを分かち合いました。

“国にささげる勝利”

そしてインタビューでは、「国にささげる勝利だ。戦禍で失われた選手たちのため今も国を守ろうと戦っている人たちのために戦った。私たちはまだ困難な道を歩いているが、ウクライナは絶対に負けない。そして必ず自由を手にする」と話しました。

一日も早い平穏な日々を。ハルラン選手が獲得した銅メダルはその色以上の光を祖国に与えるかもしれません。

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