スケートボード女子ストリート決勝、ベストトリックの4本目を終えて1位となり抱き合う吉沢恋=コンコルド広場で2024年7月28日、中川祐一撮影

 パリ・オリンピックのスケートボード競技が28日始まり、女子ストリート決勝で吉沢恋(ここ)選手(14)=ACT SB STORE=が金メダル、赤間凜音(りず)選手(15)が銀メダルに輝いた。今後の種目もメダルラッシュが期待され、日本の新しい「お家芸」とも呼べる勢いだ。

 「なぜ日本のスケートボードはこれほど強いのか?」。メダル獲得後の記者会見で、強さの理由を問われた吉沢選手はソフト面とハード面から二つの理由を挙げた。「環境が整っていること。日本人の考え方や心の優しさという部分も大きい」

 環境面での転機は、スケートボードが初めて実施競技に正式採用された2021年、前回東京五輪だった。堀米雄斗、西矢椛(もみじ)、四十住(よそずみ)さくらの3選手が金メダルを獲得して、他にも銀1個、銅1個とメダルを量産した。ストリートカルチャーから出発したスケートボードには、自由や独創性を一番大切にする気風がある。勝敗よりも「自分らしさ」にこだわったり、仲間と思いきり楽しみ、たたえ合ったりする選手の姿が注目されて、新風を吹き込んだ。

 その東京五輪をテレビの画面越しに見て、刺激を受けていたのが吉沢選手や赤間選手だった。特に吉沢選手は、西矢選手が東京五輪で見せた大技を当時既に習得しており「もしかしたら、自分も」と五輪への意欲が高まったと思い返す。

 東京後のスケートボード界は、変化も目に見えて表れた。NPO法人「日本スケートパーク協会」(東京都)のまとめによると、公設のスケートパークの数は東京五輪開催時の21年は国内243カ所だったが、24年は475カ所と約2倍に急増した。以前は路上での交通トラブルや騒音問題などマイナス面の印象も強かったが、練習場所が整備されて子供たちもスケートボードを始めやすい環境が整い裾野は拡大。日本代表の西川隆監督は「やる場所が増えて、パークに行ったらうまいスケーターが滑っているのを間近で見られる状況になった。そこから『自分も』と思う子供が増え、それが徐々に全体のレベルの押し上げにつながってきている」という。赤間選手も宮城県内に父が設計したスケートパークを拠点に、実力を磨いてきた。

 もう一つ吉沢選手と赤間選手が強調したのは、日本特有の姿勢だった。元々スケーター同士が教え合い、横につながっていく風潮があるが、日本では特にこの意識が強い。吉沢選手は「自分よりレベルが下の子にも教えてあげるし、嫌な顔せずにあいさつする。日本の良いところだと思う」。赤間選手も「真面目な努力家がたくさんいて、みんな夢に向かって突っ走っている」と語る。競技性の側面が強まり、日本代表チームとしては大会で勝つことを重視して強化を進めてきたが、一方でスケートボードに元々根付く文化は、しっかりと受け継がれている。

 好循環の中で続々と若手有力選手が育ってきた日本スケートボード界。パリの吉沢選手や赤間選手たちの輝きを見た子供たちから、4年後に主役争いを演じるスケーターが出てくる光景も想像に難くない。【パリ角田直哉】

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