フランス選手の顔を掲げて盛り上がる地元の人たち=シャンドマルス・アリーナで2024年7月27日、平川義之撮影

 連覇への道が断たれると、頭を抱えこんで人目をはばかることなく、号泣した。畳を降りて、コーチに抱きつくと、何かを絞り出すような嗚咽(おえつ)が会場に響いた。両膝を地につけ、立ち上がれなくなったそのアスリートを会場の観客たちは「ウタ、ウタ」と名を呼んで励ました。

 パリ・オリンピックの柔道は28日、柔道女子52キロ級が行われ、連覇を狙った阿部詩選手=パーク24=が2回戦でディヨラ・ケルディヨロワ選手(ウズベキスタン)に谷落としで一本負けした。会場は開催地フランス人の観客が目立つ。なぜ、日本の選手に声援が送られたのか。

 28日に柔道が行われた、パリ市のシャンドマルス・アリーナ。フランスの国旗を持った大勢の観衆で埋まったが、試合が始まると、外国選手である日本の「スター」を多くの人が認識している光景が現れた。

 この日行われた女子52キロ2回戦。東京五輪金メダルの阿部詩選手が2回戦で負ける波乱の展開となった。泣き崩れる詩選手に向け、会場からは「ウタ、ウタ」と励ましのコールが湧き上がった。

 その後、兄の阿部一二三選手=同=が男子66キロ級決勝に臨み「ヒフミ・アべ!」と紹介のアナウンスが流れると、フランスの国旗を持った観客たちから、ひときわ大きな声援が送られた。一二三選手が鮮やかな一本勝ちで2大会連続の金メダルを決めると、観客はスタンディングオベーションでこれを祝福した。

 シャンドマルス・アリーナでは、この日、フランスの選手が畳に上がると、観客たちは太鼓のリズムに合わせて皆で名前を連呼した。女子52キロ級でアマンディーヌ・ブシャール選手が銅メダルを獲得すると、割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。

 実は、フランスは日本以上とも言える「柔道大国」だ。フランスの人口は約6800万人で、日本の半分ほど。しかし全日本柔道連盟などによると、柔道の競技人口は50万人を超え、日本の約12万人と比べて4倍以上となっている。

 フランスに柔道が伝わったのは約90年前。兵庫県姫路市出身の柔道家、川石酒造之助(みきのすけ)が渡航して柔道教室を開いたとされ、今でも「フランス柔道の父」と呼ばれる。技の名称をフランス語にしたり、習熟度によって帯の色を変えたり、といった工夫で興味を引くようにし、1940年にはフランス柔道協会を設立。柔道教師を育て、各地に道場が設立されるようになった。

 先人の活動に加え、フランス人の精神性と相性がいい、という指摘もある。日本で指導を行う柔道元フランス代表のピエール・フラマン氏は「フランス人は個人主義的だが、仲間と切磋琢磨(せっさたくま)するのも好き。そんなメンタリティーに合っている競技だ」と指摘する。さらに「教育的な競技」という印象も強く、若者に対して競技参加を推奨する雰囲気があるのだという。

 フランスでは今や柔道は五輪でメダルラッシュが期待される競技の一つだ。パリ五輪開会式の最大の見せ場でもあった聖火リレーの最終走者を男子100キロ超級で3度目の制覇を狙うテディ・リネール選手(フランス)が務めたことでもその人気、期待ぶりは明らかだ。

 パリ五輪の柔道は現地時間で8月3日まで連日行われる。選手、観客を巻き込んだ日本、フランス間の「切磋琢磨」にも目が離せない。【パリ黒川晋史、岩壁峻】

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