(17日、第106回全国高校野球選手権埼玉大会3回戦 朝霞西5―6慶応志木)

 追いつ追われつの展開のなか、慶応志木が連打と相手の失策で5―5の同点に追いついた九回1死満塁の場面。サヨナラ勝ちの絶好のチャンスで打席に立った永島康太朗(3年)は、落ち着いていた。

 ベンチで石塚大起監督(19)が大声を出して拳を突き上げる様子を見て、笑う余裕もあった。「ここで打ったらヒーローだな」

 2球目、甘く入った内角の直球を捕らえた。打球は右翼へ飛び、三塁走者の藤田京輔(2年)が生還。ベンチから選手らが一斉に飛び出し、もみくちゃになった。

 新チーム発足からしばらくは、背番号1を背負い戦った。しかし、昨年の11月にひじを痛める。秋の地区大会でコールド負けし、リベンジを誓った矢先だった。

 回復したら投手に戻るつもりで内野手をしていたが、2月の合宿中に右ひじ靱帯(じんたい)損傷の診断を受ける。医師からは「夏は厳しいかもしれない」と言われ、涙がこぼれた。夏に投手として活躍できないことは、想像もしていなかった。

 だが、仲間との練習が楽しく、すぐに「打撃で貢献しよう」と思い直した。重いバットを振り、スイングスピードの向上に取り組んだ。この日は「練習の成果が出た」。5打席3安打と活躍。先制点ももぎとった。

 石塚監督は現在慶応大学の2年生で、永島が1年生だったころは3年生の選手だった。チームの主力の4番打者だったが、どんな時でも優しくあこがれの先輩だったという。次は、2年前に石塚監督らがサヨナラ負けした4回戦に進む。「絶対に石塚さんと甲子園に行きたい」。次戦での活躍を誓った。(山田みう)

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