ネパールの16歳の選手が口にした。「本当に戻れるといい。またサッカーがしたい。ラグビーがしたい」。昨年の練習中の事故で体が動かなくなった絶望の淵から、また歩ける日を目指すのは、サッカー女子U-15(15歳以下)代表で活躍したヨソダ・ボハラ選手。日本の専門施設でリハビリテーションとなる「トレーニング」を約3カ月こなし、帰国後も訓練を続けていく。(上條憲也)

けがをする以前のヨソダ選手=カメラマンの古屋祐輔さんが編集した動画から、古屋祐輔さん提供

◆サッカーではU-15代表 ラクビーではUー20代表に

 6月、脊髄損傷者専門のジム「J-Workout(ジェイ・ワークアウト)」(東京都江東区)で2時間のトレーニングに臨んでいた。動かない体を施設のトレーナー陣に抱えてもらって器具に構え、両足を動かしてもらいながらスクワットの動きなどをこなす。来日した4月から帰国の7月上旬まで通った。トレーナーの一人で施設の広報、浅見明子さんは「筋肉と筋力がついてきた。以前はできなかった体を支えることもできるようになってきた」と頑張りを褒める。

トレーナーの浅見さん(左)と一緒に右手を動かすヨソダ選手(中央)。後方は姉のビマラさん

 5年ほど続けてきたサッカーで2年前、Uー15代表として南アジアの国際大会で活躍。左右どちらも巧みなキックができる中盤の選手は昨年4月、ネパールに新設されたラグビー女子のUー20代表にも抜てきされた。慣れてきたその年の夏、練習中の事故で首から下がほとんど動かなくなった。頸髄(けいずい)損傷だった。  手術のために大切な長い髪の毛を切った。当初は右手がわずかに動くくらい。背もたれがないと座る姿勢すら保てなかった。出身の村を離れた首都カトマンズの病院では、仕事を辞めて付きっきりで介護する姉ビマラさん(22)らとの先行きの見通せない入院生活が8カ月続いた。

◆厳しいトレーニングにも笑顔

 初の来日は専門施設を利用するため。厳しいトレーニングにもヨソダ選手は「いい感じ」とほほ笑む。「みぎ、ひだり」。リハビリで使う日本語も覚えた。サッカーでもラグビーでも、いつかまたボールを追うためだ。

体を横に両手を固定し状態で両足の筋肉に負荷がかかるようスクワットのトレーニングをするヨソダ選手(左)

 近隣国バングラデシュへの遠征経験しかなかった世界観は、来日で広がった。「日本やほかの地域の女子がサッカーをしているとは知らなかった」。6月にはJ1東京ヴェルディから東京・味の素スタジアムでの試合観戦に招かれ、グラウンドレベルに車いすで入った。練習前の選手たちとも手を合わせ「すごく良かった」。ただ、夢にあふれていた時を思い出すと涙もあふれる。

6月22日のJ1東京V-名古屋戦で、試合前練習のため入場する東京VのGKマテウスと手を合わせるヨソダ選手(車いすの左から2人目)ⓒTOKYO VERDY

◆「私がけがをした人たちの希望に」

 ジムでは鏡に自分の姿を映し、脳と体の動きを一致させて感覚を取り戻していく。変化の表れを浅見さんは「人それぞれ。明日とも10年後とも言えないが、続けることで変化が出てくる。もどかしいとは思うけど」。  長髪を切って寄付するヘアドネーションをしたビマラさんも介助の仕方を学んだ。病院には戻らず家を借りて生活する帰国後が本当のスタートだ。ヨソダ選手は同じようなけがをした人たちに「私が希望になりたい」とし、「その夢は変わっていません」と笑った。

◆クラファンで来日費用

 日本滞在中のジムの利用費などは、クラウドファンディングで広く協力があった資金があてられ、帰国後の生活費にも使わせてもらうという。姉妹を支える一人でネパール在住8年のカメラマン古屋祐輔さんは、入院当時を撮影した映像などを編集した動画「Yosoda Bohara」をユーチューブで公開。神奈川県ラグビー協会にも声掛けし、広く知ってもらってきた。

ネパールで入院中のヨソダ選手(古屋祐輔さん提供)


 
 ラグビー経験者の古屋さんは昨年、現地で有望な選手がいると耳にし、その後、けがの知らせを聞いた。国際協力機構(JICA)海外協力隊として2019年まで2年間ネパールに滞在したJーWorkoutの浅見さんとのつながりから、今回の来日になった。 

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