高校野球の発展に尽くした指導者を日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する今年の育成功労賞に、岐阜県内から松下健二・武義(むぎ)高野球部長(59)が選ばれた。36年間もの指導経験や公式戦運営の実務などが評価された。選手権大会期間中の8月15日に阪神甲子園球場で表彰される。

 「何かを成し遂げたのでは全然ありません。切れることなく継続して指導をしてきただけです」と松下さんは謙遜して語る。

 武義高出身。名商大を経て1987年に美濃加茂高の非常勤講師になった。

 一般企業の内定も得ていたが、野球指導者になりたいとの思いが強かった。本で読んだ「人生に好機は3度ある」との言葉を思い浮かべ、内定を辞退して教員の道に入った。

 同時に高校時代の監督・渡辺義朗さんの口添えで、渡辺さんが当時部長をしていた関商工高の部活動講師に。指導者のスタートを切った。

 89年春、岐陽高の教諭に採用され、秋には野球部監督に就任した。翌年夏の岐阜大会の初戦の相手は何と関商工。「頭の中が真っ白になりました」と懐かしむ。

 その後、武義で2回、関商工で1回勤務。監督としてだけでなく、部長や副部長も務め、選手を乗せたマイクロバスを運転して土日を中心に県内外の試合に駆け巡った。

 2011年、関商工が夏の甲子園の初出場を決めた時は副部長としてベンチにいた。「優勝した後が大変でした」。部長らと未明まで学校に残り、書類作成などにあたった。

 04年には県高野連の中濃飛驒支部長に就任。大会運営に尽力する日々が始まった。「誰よりも早く球場に行って準備をしました」

 球場の解錠やゲートの開放、グラウンドの整備や散水、砂のストックの買い出し……。試合後は球場で出たゴミを自宅に持ち帰りもした。

 シーズン中は地区大会に始まり、春の県大会→夏の岐阜大会→地区大会→秋の県大会と間断なく運営業務が続く。「目を悪くしたことがありましたが、病院に行く暇がない。医者に『なんで早く来んのや』と怒られました」と苦笑する。

 来春、退職する予定だ。40年近く続けてきた高校野球指導者の魅力とは。

 「チームを強くするための正解はありません。でも生徒たちが成長し大人になっていくのを実感できる。素晴らしいことです」

 長男は武義の元選手、長女も他校の元マネジャーという野球一家。野球好きの妻・いく子さん(58)にも感謝している。学校で選手を指導する一方、「子育てを一手に任せてしまった。申し訳ない」。

 育成功労賞に決まったことを妻に伝えると喜んでくれた。「この夏の甲子園に一緒に行くつもりです」(高原敦)

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