梅雨の雨がやんだ6月29日、徳島市のむつみスタジアムで、赤と白色のユニホームを着た女子選手が二塁の守備についた。

 「セカンドに打ってこい」。打球が二塁方向へ転がると、赤い帽子から後ろ髪をなびかせて打球を捕り、一塁へ送球した。打者をアウトにすると、男子選手たちから「うおー」と歓声が上がった。チームは大量点を奪い勝利した。

 高校野球経験者が甲子園をめざすマスターズ甲子園徳島大会の1回戦で、吉本りりかさん(21)は阿波高野球部の卒業生チームの仲間とともに母校の校歌をグラウンドで歌った。

 「次こそはヒットを打ちたい」。目標は、高校時代にはスタートラインにさえ立てなかった甲子園出場だ。

 吉本さんは小学3年の時、少年野球をしていた兄の試合を見たのがきっかけで野球を始め、6年の時、全日本女子学童軟式野球大会で全国優勝を経験した。中学校は軟式野球部で活躍した。

高校在学中は規定の壁

 だが、中学3年で進路を決めるとき、岐路に立った。

 日本高校野球連盟は、男女の運動能力差による危険回避の観点などから、全国高校野球選手権大会などの公式戦に参加できるのは男子と規定している。女子が男子の硬式野球部で活動する場合、公式戦ではプレーできない。

 一方、1997年から全国高校女子硬式野球選手権大会が開催され、女子が硬式野球の公式戦で日本一をめざす道も開かれている。ただ、出場できるのは女子の硬式野球部がある高校だけだ。

 小学生の頃から一緒に野球をしてきた友人が、女子の硬式野球部がある大阪の高校へ進学すると聞き、「自分も」と考えた。でも、一人暮らしをしながら野球を続ける自信がなかった。

 地元阿波高へ進み、当時県内の硬式野球部では1人だけの女子部員となった。

 高校時代、相手校の監督の同意があれば、練習試合でプレーできた。しかし、公式戦にはやはり出場できなかった。2年の時に葛藤をつづった作文が残っている。

 「(公式戦で)大好きな同級生男子部員たちとともに戦う。グラウンドに舞う黒土が汗にまみれ、私の頰をつたう… 私のはかない夢です」

 「ベンチにも入れず、背番号をつけることができません。すべてをわかったうえで入部しましたが、やはり、毎日ともに汗を流す部員と同じユニフォームを着てベンチで戦いたいという想(おも)いは日増しに強くなっています」

 吉本さんの野球への情熱は当時の野球関係者の心を動かした。3年だった2020年夏、コロナ禍で中止となった夏の選手権徳島大会の代わりに開かれた県高校優勝野球大会で、始球式の投手役に抜擢(ばってき)された。見事にストライクを決めた。

 「マウンドに上がるチャンスを与えてくれた方々や、支えてくれた家族、仲間への感謝の気持ちをボールに込めました」

女子高校野球部がある高校ゼロ、徳島含め全国に13県

 全国では、女子硬式野球部を設ける高校が徐々に増えている。全国高校女子硬式野球連盟によると、98年の連盟発足時、加盟校は埼玉県などの3校だったが、今年5月現在、65校に増えた。

 公式戦も全国選手権大会、ユース大会、選抜大会と多彩になった。

 しかし、徳島県を含めて47都道府県中13県は、今も女子硬式野球部がある高校がゼロだ。多くは人口減少が加速し、男子の硬式野球部員の減少にも悩んでいる県だ。

 徳島県では3年前から、「野球のまち」を掲げる阿南市が女子の硬式野球チームの結成をめざしているが、現状では受け入れ可能な学校がないという。

 同市野球のまち推進課の担当者は「徳島の高校に女子チームができれば、野球を続けたい有望な選手が地元に残ってくれるのですが」と嘆く。

 吉本さんは、高校卒業後、みよし広域連合消防本部(徳島県三好市、東みよし町)に就職し、同本部で唯一の女性消防士として活躍している。

 阿波高の監督や主将からもらった背番号「4」のユニホームと泥だらけの試合球を部屋に飾り、仕事でうまくいかなかった時の励みにしてきた。22年からマスターズ甲子園をめざしてチームの練習に参加している。

 「高校で野球を続けてよかったと思っているので、後輩たちにもぜひ高校で野球をやってほしい」

 徳島の高校初の女子硬式野球部の誕生を心から願っている。(吉田博行)

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