高校野球の発展に貢献した指導者を日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する「育成功労賞」に、徳島県内から板野高校野球部の前監督の和田哲幸さん(57)が選ばれた。池田高校野球部時代の恩師、故・蔦(つた)文也監督を手本にしながら、時代に合った指導法を模索し続けてきたという。
和田さんは池田高校3年生だった1985年の選抜大会に三塁手として出場し、4強入りを果たした。「攻めダルマ」の異名をとった蔦監督について「練習での指導は厳しかったが、試合になると選手たちを信頼して任せてくれた。おかげで、のびのびと思い切ってプレーできた」と振り返る。
試合で劣勢になっても、蔦監督は表情も変えずベンチにどっしり構えていた。終盤になってようやく立ち上がり、「そろそろいけよ」と穏やかに選手たちを鼓舞した。「具体的な指示はないけど、お前たちなら大丈夫、と背中を押してくれる魔法の言葉だった」と和田さんは懐かしむ。
練習を通じて選手たちに弱点を克服させ、自信を持たせて試合で力を発揮させる。そんな恩師の指導法を思い起こしながら、城南、鳴門、板野の3高校の野球部で計28年間、監督を務めた。
「打てなかった子がヒットを打ったり、コントロールが甘かった子が相手打線を抑えたりと、試合の中で成長を見せてくれるたびに、彼らが努力した2年半が目に浮かぶんです」
向き合った選手の数だけ、成長の喜びを感じられるのが監督の醍醐(だいご)味という。
板野高で監督を務めた2017年夏の全国高校野球選手権徳島大会では、同校にとって25年ぶり2度目の決勝に進出。甲子園出場は逃したものの、準優勝に導いた。
今回の受賞について「今まで向き合ってきた生徒たちと、支えてくれた家族のおかげ」と話す。部活指導で家にいる時間は少なかったが、野球好きの妻が娘2人を連れて、よく試合の応援に来てくれたという。娘たちは現在、高校野球の記録員や大学野球部のマネジャーとして活躍している。
「野球が進化していくのに、古いままの指導法では何も変わらないよ」と娘たちに指摘されることもある。
「時代とともに、選手とのコミュニケーションの取り方も変わってきている。昔のやり方にこだわらず、指導者として常にバージョンアップしていかなければ」と自らを戒める。
昨春、母校の定時制の教員に着任。現在は野球部から離れているが、「いつか生徒たちと一緒に夢を追いかけたい」と指導者への復帰を願う。(吉田博行)
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