1997年夏の甲子園で投げ合い、その後、プロの世界で長く活躍するサウスポー同士の対談が実現した。ヤクルトの石川雅規投手(44)と、ソフトバンクの和田毅投手(43)。ともに今季も、先発として白星を挙げた。「今は野球人生のボーナスステージ」と笑う二人に、劇的な幕切れとなった27年前の思い出や高校野球への思いなどを語り合ってもらった。(対談は2月の春季キャンプ中にオンラインで行いました)
「毅の表情が忘れられない」
石川 毅が2年生、僕が3年生。ものすごく暑かった。そして、毅の球がとんでもなく速かった。
和田 僕は全国大会も、あんな大きな球場でやったのも初めて。緊張でずっと足が震えていた記憶があります。
石川 僕らは中盤まで毅の球を打てなかった。九回はヒットでつなげることができて、あの送りバントで……。
和田 僕が悪送球して2点入って、バッターも三塁へ。
石川 あれよあれよ、という間にそういう展開になったイメージだね。
和田 がむしゃらというか、相手を仕留めることよりも、キャッチャーのサイン通り、一生懸命投げた。それで八回までいったんですけど、初めて九回にスコアボードを見てしまったんです。
「あと3人抑えたら勝てるんだ」って。それでちょっと守りに入ったというか。「抑えなきゃ」と思ってしまった。ヒットを連続で打たれて。やばい、これでタイムリーを打たれたら……とか考えていたらバントのことが頭になくて、処理がワンテンポ遅れてしまい、悪送球。もう、そこから記憶がないです。
石川 そのあと満塁になって、僕がバッターになった。(押し出し四球で)勝ったことより、毅のあの時の表情が忘れられなくて……。あとで映像を見たとき、何かをつぶやいているような毅を見ているから、よけいにそんな印象があるのかもしれないけど。なんかこう、喜べなかったというのが正直あった。勝ったあと、みんなでワーッとスタンドの方へあいさつに行くんだけど、僕は元気よく走れなくて、一番最後から、とぼとぼ行った記憶がある。
和田 押し出しの瞬間、石川さんがすごい表情をしていたというか。球審が「早く一塁まで歩いて」というようなことを言っていた。
石川 一塁に行くことを忘れていた。勝手な想像だけど、2年生エースが、3年生の夏を終わらせてしまったという責任を、毅が負っちゃっているような顔をしているように見えて。
和田 それはすごく感じましたね。あと3人抑えたら勝てるのに、自分のせいでサヨナラ負け。先輩にどう顔向けしたらいいんだろうって。何が起きたのか分からなかったけど、秋田商の校歌が流れてきて、ああ終わった、となった時に、どんどんそんな感情が出てきた感じでした。
石川 翌年、また浜田は選手権大会に出て、ベスト8まで行ったんだよね。「頑張れ」って勝手に応援していた(笑)。
和田 ありがとうございます(笑)。僕は負けてから、もう翌年は出るだけじゃ許されないと思った。甲子園で勝って、初めて先輩たちに顔向けできると。それくらいの覚悟でやっていました。あの負けた日から。
2人の共通点は「走る」
――その後、お二人とも大学をへてプロへ。長く現役を続けられていますが、お互いにすごいな、と思うところは。
石川 日米大学野球の代表などで、毅とキャッチボールをしたことがあるんですけど、球の質がほかの人と違うんです。真っすぐが、怖いんですよ。2回くらい、ホップしてくるイメージ。
和田 僕は3回くらい手術しているんですけど、石川さんは3千投球回以上投げて、一度もしていない。生まれ持った能力というか、すごいとしか思えない。
――プロの舞台で再会すると思いましたか。
石川 いや、まず僕がプロにいけるとは思わなかったので。
和田 自分も同じ。大学1年生のとき、石川さんが全日本大学選手権の決勝で投げているのを「わっ、石川さんだ」と羨望(せんぼう)のまなざしで見ていました。きっとプロにいくんだろうな、と。
――お二人が小さい頃から大事にしてきたことは何でしょうか。
石川 父親とキャッチボールをすると、胸の辺りに投げないと捕ってくれないんです。いまだにキャッチボールはすごく大事にしているし、野球の原点かなと。
和田 高校もそうですが、特に大学では4年間すごく走った。うちの大学の監督さんが「石川さんはオフに1日20キロ走っている」と言っていましたが、本当ですか?
石川 ランニングって賛否両論があるけど、僕はすごく走って、良くなった。確かにめっちゃ走ったね。
和田 僕も体が大きい方ではないので、走るのに適していたんじゃないかと思う。量は減ったけど、今でも走ることは大切にしています。
石川 何が良くて何がダメなのかを決めるのは、結局、自分の実験だと思う。自分でいろいろ試してみることが一番、大事なのかな。
和田 (選手によって)体の大きさも柔軟性も筋力も全然違う。「自分」をしっかり大切にしてほしいなと思います。
石川 考えていることは似ていると思う。だから、毅と話をしていると、答え合わせができて。自分がやってきたことは間違っていなかったのかな、と思うことは多いですね。
高校球児へのメッセージ
――甲子園への思いを聞かせてください。
石川 初めて夢をかなえたのが甲子園出場でした。その感激やうれしさというのは、ほかのものには代えられない。甲子園があったからこそ、大学という次のステップにつながった。
和田 自分も夢で一番最初にかなったのが甲子園です。あの負けがなければ、翌年のベスト8も絶対にないと思う。
石川 甲子園球場に入ったときの印象は、ここでどうやったらホームランになるんだろう、っていうくらい広く感じましたね。
和田 こんな球場でプロは試合をするんだ、この球場が満員になるんだ、阪神タイガースの試合は、と(笑)。
――石川投手は、のちにプロ入りする川口知哉投手(京都・平安)らが同世代にいました。和田さんは松坂大輔投手(横浜)ら、いわゆる「松坂世代」です。
石川 能見篤史(鳥取城北)とか、五十嵐亮太(千葉・敬愛学園)とかもいて。こういう人たちがプロに行くんだと、憧れというか羨望のまなざしで見ていました。いちファンみたいな感じ。
和田 3年生の全国選手権大会の開会式で、大輔と新垣渚(沖縄水産)と記念写真を撮ったんですけど、敬語でしゃべりました。「これ、孫の代まで自慢できるな」と。
――高校球児へのメッセージをお願いします。
石川 思い切ってプレーしてほしい、ということしかないですよね。けがに気をつけて、普段グラウンドでやっているプレーを思う存分に。
和田 野球を続ける人もいれば、高校で終わる人もいると思う。でも、その仲間でやれる野球は最後。仲間と同じ方向を向いて戦える大事な時間で、一生語り合える。うれし涙で終われるような高校野球生活になってほしいです。(構成・山田佳毅)
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