人口減ニッポン 高校野球の今⑥佐賀北

 佐賀北の監督室の壁には、1枚の古びた新聞が貼ってある。

 日付は2007年8月22日。第89回全国高校野球選手権大会の決勝で、佐賀北が逆転満塁本塁打で初優勝を果たしたことを報じる号外だ。

 20年4月に就任した本村祥次監督(30)は言う。「これは特別ですから。見るたびに、甲子園に行きたい、あの歓声の中に生徒たちを連れていきたいなって思う」

 佐賀北は今夏で106回目を迎える全国選手権大会の、「最後の公立優勝校」だ。

 準々決勝で帝京(東東京)、決勝で広陵(広島)といった強豪校を次々と下し、全国の頂点に立った。県立校の快進撃ぶりは「がばい旋風」と呼ばれ、大きな話題となった。地元では大フィーバーが起こった。

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 「甲子園から帰って博多駅に着いた時、すでに構内が人であふれかえっていた。優勝後もしばらくは学校の前に観光バスがとまって名所扱いされていたよ」

 当時、母校を率いて優勝に導いた百崎敏克・元監督(68)は笑いながら振り返る。チームが行く先々で、大勢の人に囲まれた。

 その後、佐賀北は12、14、19年と夏の甲子園に出た。本村監督は優勝後に初めて出場した12年の主将で、開会式の入場行進で球場からひときわ大きな拍手を受けたことが忘れられない。「応援されるチームって、こんなに幸せなんだなと」

 個ではなく、チームの力で戦うのが伝統の「佐賀北野球」だ。全国制覇したときのチーム打率2割3分1厘は、金属製バット導入後の優勝校で最も低い。一方で、48四死球は大会史上最多。公立校でも粘ってつなげば、全国でも勝てると示した。

 本村監督のように、偉大な先輩たちにあこがれて入部した選手は今も多い。全国制覇の前年に生まれた主将・久保聡汰もその一人。遠征バスの中では甲子園決勝の映像を流すことがあり、久保は「あれこそ、うちが理想とする野球」と尊敬する。

 ただ、学校には17年前の優勝を知らない友人もいるという。だからこそ、「もう一度、『がばい旋風』を起こしたい」。

 ここ10年以上、佐賀の代表校は甲子園で2勝以上できていない。本村監督は「『佐賀は甲子園で勝てない』と言われ、良い選手は県外に出ることもある」。佐賀北は優勝時の部員が60人だったが、現在は少子化も相まって、44人に減った。

 冬には追い込み練習で体をいじめ抜き、今春の県大会で優勝した。街の過疎化を肌で感じているエースの高柳俊介は「うちが勝つことで、佐賀が盛り上がると思う」。

 最後の公立優勝校としての誇りを胸に――。再びの「旋風」をもくろんでいる。(室田賢)

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