名古屋市長選で当選確実となり、河村たかし衆院議員(手前右)らと万歳をして喜ぶ広沢一郎氏(中央)=名古屋市東区で2024年11月24日午後8時13分、山崎一輝撮影
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 前名古屋市長の河村たかし衆院議員(76)が後継指名した元副市長、広沢一郎氏(60)が11月の市長選で初当選を果たした。当初は自民、立憲民主、国民民主、公明の4党が相乗り支援した候補者との接戦が予想されたが、フタを開ければ広沢氏の圧勝だった。「選挙の神様」と呼ばれる選挙プランナー、藤川晋之助氏(71)は「河村さんの力が大きかった。名古屋は河村さんの独特の雰囲気が今も根付いている」と、その影響力の大きさを指摘する。

130勝16敗

 名古屋市長選が告示された11月10日。市内にある河村氏の事務所で開かれた広沢氏の出発式に藤川氏の姿があった。

 「『選挙の神様』が来てくれたでえ」。河村氏からこう紹介を受けた藤川氏。これまで裏方として携わった地方・国政含めた選挙の戦績は130勝16敗。7月の東京都知事選で約166万票を獲得した石丸伸二・前広島県安芸高田市長(42)の選対幹部を務め、注目を集めて以降、メディアに露出する機会が増えた。

藤川晋之助氏=東京都千代田区で2024年12月6日午後3時54分、真貝恒平撮影
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 出発式の応援弁士としてマイクを握った藤川氏は、市長時代に市民税減税などを進めてきた河村氏について「頑固ですよね。こんなにぶれない人は日本の政治家で他にいない」とたたえ、「その右腕として河村のおっちゃんのために人生をかけている誠実でまじめな広沢さんに活躍してもらいたい」と支持者に訴えた。

30年前に意気投合

 河村氏と藤川氏との出会いは30年以上前にさかのぼる。衆院議員に初当選して間もない河村氏のもとに大阪市議だった藤川氏が訪ね、政治談議を交わしたのが始まりだった。河村氏から差し出された名刺には「総理を目指す男」と記されていた。藤川氏は「面白い人だな」と意気投合した。

 藤川氏は2012年、河村氏に請われ、河村氏が代表を務める地域政党「減税日本」の選対事務局長・東京本部事務局長・政策顧問に就任し、選挙にも一度だけ携わった。河村氏について「根にある明るさと忍耐強さが人を引きつけ、慕われる。話すことがわかりやすく、届きやすい。30年前に話していたことをずっと今も続けている姿は自分の活動の支えにもなってきた」と語る。

衆院選で当選確実となり、水をかぶって喜ぶ河村たかし氏(中央)=名古屋市東区で2024年10月27日午後8時6分、山崎一輝撮影
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 藤川氏には、選挙モンスターと言われる河村氏との忘れられないエピソードがある。河村氏が名古屋市長時代に名古屋を訪れた際、一緒に市役所を出て歩くと、「市長だ」と声をかけてくる市民と写真を撮ったり談笑したりする河村氏の姿を目の当たりにした。「つまり、ずっと選挙運動やってるんですよ」

 河村氏のおはこ「自転車街宣」も「独特」に映ったという。「普通なら何千万円以上もかかる選挙を自転車でまわって450万円ぐらい。なのに市長選では40万票以上の票が入る。すごい費用対効果」と振り返る。

日本保守党には懐疑的

 名古屋市長選で広沢氏は政策や演説動画をSNS(ネット交流サービス)で発信。それが拡散されるなどSNSの影響力も大きかったとされる。この点について藤川氏は「ネットの活躍度は東京都知事選や兵庫県知事選に比べて低かった」と指摘。そのうえで「河村色の強い選挙で広沢氏は勢いに乗った。名古屋にはあの人の独特の雰囲気が浸透していると改めて感じた」と話す。

15年ぶりに国政復帰した日本保守党の河村たかし氏=東京都千代田区の国会議事堂前で2024年11月11日午前10時、遠藤浩二撮影
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 そんな河村氏に、藤川氏は「首相指名で3票入ったと喜んでいた。初めて会ったときから変わらない『総理を狙う男』でいてほしい」とエールを送る。

 一方、河村氏が共同代表を務め、衆院選での躍進で国政政党化した日本保守党については「あまり長続きする政党とは思えない。一定期間役割を終えたら退いていくのではないか。日本では右側のウイングに政党ができるという歴史は今まで踏んでこなかった」と党勢拡大に懐疑的な見方を示した。【真貝恒平】

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