スタジアムで、ひときわ大きな声を張り上げて応援する女性の姿があった。サッカーJFL・高知ユナイテッドSCの寮母として、長年、選手の食事の世話をし続け、2024年4月、社長に就任した山本志穂美さん(59)だ。J3昇格は悲願の夢で、日々献身的に選手のサポートやクラブ運営に奔走している。志穂美さんは、30代半ばに生死をさまよった経験から人生観が変わったと話す。

選手からは「お母さん」 社長になっても食でサポート

JリーグにはJ1からJ3まで3つのリーグがある。高知ユナイテッドSCは、2020年にJ3より一つ下のカテゴリであるJFLに地域リーグから昇格。JFLで5シーズン目となる今年、開幕から7連勝をあげるなど「今年こそはJリーグへ」とチーム一丸となって戦っている。その高知ユナイテッドSCの社長に就任したのが、山本志穂美さんだ。

2024年4月 高知ユナイテッドSCの社長に就任した山本志穂美さん

志穂美さんは12年前、ボランティアをしていたマラソン会場で、高知ユナイテッドSCの前身である南国高知FCの選手たちに出会ったのがきっかけで、サッカー観戦に足を運ぶようになる。

生で見る試合は、「間近で選手たちの躍動感が伝わってくる」とすっかり魅了された志穂美さん。それ以来、地元チームの熱烈なサポーターとして動き始めた。

まず志穂美さんの会社が所有するアパートを選手たちに提供、さらに目の前にある自宅で、選手たちの食事の世話をするようになっていった。この12年、遠征やオフの日を除き、朝晩1回平均15人で計算すると、実に10万8000食。

アスリートフードマイスターの資格を生かして、選手の体調や試合スケジュールなど状況にあわせて細かくメニューを決め、選手の体づくりに貢献してきた。選手からは「お母さん」のような存在と慕われている。

■山本志穂美さん
「毎日大変ですね、とよく言われますが、一度も大変だと思ったことはないです。高知の食材はすごくパワーがあるので、できるだけ地元産のものを使っています。過去に鉄分不足に悩む選手がいて、それを補うメニューを出していたら、2か月程で改善されたこともありました。『体は食べるもので作られる』ことを実感。そういった選手の変化が見られると、やりがいがあるんですよ」

この春、社長に就任し、これまで以上に多忙を極める志穂美さん。寮母も続けながらのクラブ運営で、自分の時間はほとんどない。志穂美さんがそこまで人生をかけて臨むのには、ある理由があった。きっかけは2度にわたる命の危機だった。

2度にわたる命の危機 30代生死さまよう体験が人生観を変えた

志穂美さん、最初の「命の危機」。東京暮らしだった19歳のとき、子宮に悪性リンパ腫が見つかった。「子宮全摘かもしれない」この先結婚、出産という未来が描けなくなるかもしれないと、大きな不安に襲われた。

更にこの時既に「ステージ4」と診断され、生まれて初めて「生と死」を見つめた瞬間でもあった。幸運にも、治療にあたった病院が、高度な医療技術を取り入れていたことから、全摘は免れ、将来への望みは絶たれることはなかった。

病をきっかけに、志穂美さんは東京から故郷・高知へ帰ることになる。大病を克服した志穂美さんは、21歳で起業。夫とともに輸入車販売会社を立ち上げた。

60坪のプレハブ事務所からのスタートで苦難の連続だったが、2人の熱意に加え、好景気も後押しし、徐々に事業は軌道に乗り、わずか2年で新社屋のもと、株式会社を設立するまでに成長していった。

子宝にはなかなか恵まれず、不妊治療を始めることになる。そして長い不妊治療の末、28歳で待望の長男を出産、そして35歳で長女を授かる。

2度目の「命の危機」は、2人目の子どもを出産した半年後のこと。風邪薬を飲んだところ、全身にじんましんが出て呼吸困難の状態となり、即、病院へ。アレルギー症状が急激に引き起こされ、場合によっては命に関わることもある「アナフィラキシーショック」だった。

志穂美さんは重篤で、一時、心肺停止となった。そのとき横たわっている自分の姿が見え、「あの寝ている体に何とか戻らなくては」ともがき、やがて神々しい光に包まれる中、ある誓いをしたことで、命を吹き返したという。いわゆる臨死体験で、そこから人生観が変わったと語る。

■山本志穂美さん
「不思議な体験でしたが、そのとき『これからは、子どものためだけに生きます』と誓いました。19歳のときの経験も合わせると、一度ならず二度までも命を失いかけたことで、『生かされている』ことへの感謝の気持ちが一層強くなり、なぜ生かされているのか、その理由を問いかけるようになりました」

志穂美さんはその後、薬や添加物を一切受けつけない体質となり、人一倍食生活に気を配るようになった。「アスリートフードマイスター」の資格は、その延長でとったもので、まだサッカーに出会う前のこと。それがずっと後になって、寮母として生かされたということも、不思議な運命に導かれているようだ。

志穂美さんは今、「生かされている理由」を社長という新たなステージに見い出している。

「あの歓喜をもう一度」そして地域に愛され、必要とされるクラブに

志穂美さんは、県内外問わずシーズン全試合足を運んで応援してきた。12年間関わってきたなかで、最も印象に残っている試合は、2019年JFL昇格を決めた一戦。

アウェーで雨の降るなか、選手たちが昇格をかけた大舞台で最高のプレーを見せ、高知のサッカー界の歴史を変える貴重な勝利をあげた。雨はやがて、選手、サポーターたちの「歓喜の涙」に変わった。今思い出しても感動で心が震えると志穂美さんは話す。

■山本志穂美さん
「JFLに昇格し、いまチームに勢いがあるのも、過去に頑張ってくれた選手たちの土台があるから。私たちはそれを忘れてはいけないんです。そして、もう一度今の選手たちと共に、あの歓喜の涙を、昇格の喜びを味わってみたいです」

志穂美さんのその思いが、今のチームの勢いにも繋がっているかのように、高知ユナイテッドSCは、首位を独走中。ホームゲームのスタジアムには、これまで以上に多くの人が訪れ、「高知にJリーグを」と熱い声援を送っている。社長として今思うことは?

集客について協議する会で発言する山本志穂美さん

■山本志穂美さん
「妥協せず熱い思いを貫いてきたことで、行政や企業など協力の輪はどんどん広がっています。高知にJリーグが誕生すれば、地域は活性化され、経済効果も生まれます。そして、何よりスタジアムは、元気と勇気、感動を与えてくれる場所です。ユナイテッド代表として、これから地域に愛され、必要とされるクラブに成長させていきたいと思います」

「私は選手の人生を預かっている」

社長として、寮母として日々奮闘する志穂美さん。リビングにあるカレンダーには、試合日程と選手全員の誕生日が書き込まれていて、まさに母親のような愛情にあふれている。

■山本志穂美さん
「ユナイテッドの選手たちは、短い選手生命をかけて必死に戦っている。それに応えなくてはいけないという気持ちでいっぱいです。私は選手の人生の一部を預かっていると思っているので、これからも全身全霊で支えていきます」

どんなに忙しくても食事を作り続けてきた志穂美さん。Jリーグ入り目指して戦う選手たちの体づくりのためにと、きょうも台所に立ち、愛情たっぷりの料理で「息子たち」の帰りを待っている。

※【J3昇格の条件】JFLリーグ2位以内、ホームゲームの1試合平均入場者数2000人以上で年間入場料収入が1000万円に到達していることなど。

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