ふるさとの歴史を学べる場所ができました。
国指定の史跡、都於郡城に関する史料や伊東マンショなどの功績を紹介する歴史館が、今月、宮崎県西都市にオープンしました。

(丸山敦子記者)
「西都市の小高い場所に来ています。ここは、かつてこの一帯を治めていた主の大きなお城がありました」

標高100メートルの台地にある西都市の都於郡城(とのこおりじょう)跡。

都於郡城は、鎌倉時代からおよそ240年間、日向国を治めた伊東氏の居城で、本丸や二ノ丸など、5つの曲輪で構成され、その間には深い堀が作られているのが特徴です。

(西都市教育員会 筌瀬明宏さん)
「本丸と二ノ丸をつなぐ堀になってています。こちらから見ると、V字の堀になっていますが、実際は底の分も深くて、これより3メートルくらい深いと言われていますので、すごく鋭角なV字の堀だったと考えられています」

16世紀、使節団の一人としてローマにわたった伊東マンショの生誕の地でもあります。

(西都市教育員会 筌瀬明宏さん)
「日向国一帯をまとめたお城なので、そういう意味合いでは地元の人たちも大変重要な場所だと認識されていると思います」

こうした文化資源を活用しようと、西都市が神楽酒造工場の敷地内に整備したのが「都於郡歴史館」です。

(西都市教育員会 筌瀬明宏さん)
「こちらが都於郡城の当時の姿を復元した模型になっています」

まず、目を引くのが400分の1サイズで作られた都於郡城の復元模型です。

(西都市教育員会 筌瀬明宏さん)
「その(伊東氏の)居城が都於郡城だと言われています。当時の山城は、こういう平屋の木造の建物が並んでいたという状況になります」

このほか、城跡の発掘調査で見つかった器などの出土品も展示されています。

(西都市教育員会 筌瀬明宏さん)
「今まで西都市の歴史民俗資料館の施設の中である程度の解説はしていたのですが、一堂に集めさせていただいたのは、初めての機会になるかなと思います」

また、伊東マンショのコーナーも。

こちらは16世紀から18世紀にかけて来日した南蛮船の模型で、伊東氏にゆかりのある西都市内の寺の住職が歴史館の開館に合わせて制作しました。

(西都市教育員会 筌瀬明宏さん)
「伊東マンショが天正遣欧使節でヨーロッパに渡った時に、おそらくこういった船に乗ったであろうと」

実は伊東マンショは、ヨーロッパで肖像画が描かれた最初の日本人とも言われているんです。

さらに、都於郡地区には貴重な文化資源がもう一つ。
それは、ナウマンゾウの化石です。

(西都市教育員会 筌瀬明宏さん)
「実は、今から65年ほど前に、妻高校生がこの近所にある坂で発見したのが端を発している。その後、5年間ほど発掘調査を行いまして、全部で22点、化石が出土しておりまして、このナウマンゾウの展示ということで紹介している」

市は、都於郡歴史館を通して、多くの人に地元の文化資源について興味を持ってほしいとしています。

(西都市教育員会 筌瀬明宏さん)
「大変この地域もすばらしい史跡が眠っている地域です。こういう場所を少しでも西都市としては活用していただいて、皆様に当時の歴史を知っていただけるような場所として、施設として、今後、使っていただければと思っています」

「都於郡歴史館」は、神楽酒造西都工場の西の都アグリ館1階にあり、入館は無料となっています。

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