読売新聞グループ本社主筆の渡辺恒雄氏は1993年に開幕したサッカー・Jリーグの運営方針を巡り、初代チェアマンの川淵三郎氏(88)と、ことあるごとに対立した。
当時、渡辺氏が社長を務める読売新聞社は、三浦知良、ラモス瑠偉らスター選手を抱える名門クラブ、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の親会社だった。プロ化に際し、クラブの名称に企業名ではなく地域名を冠することを求めたJリーグに渡辺氏は猛反発。94年12月には「一人の独裁者が空疎な理念を振りかざしてもスポーツは成り立たない」と川淵氏を批判したが、Jリーグが方針を変えることはなかった。
98年に出資会社の経営不振により横浜フリューゲルスを横浜マリノス(現横浜F・マリノス)が吸収合併することになった際も、渡辺氏は「当然のこと。不景気な時代に、企業として維持できるはずがない。今みたいな川淵哲学なら、読売も(チームを手放すことを)考えざるを得ない」と主張。実際に読売は98年限りでヴェルディの経営から撤退した。
「地域密着」をうたうJリーグは昨年、30周年を迎えた。川淵氏は「渡辺さんが批判すればするほど、Jリーグの理念を世間にPRできた。今のJリーグがあるのは渡辺さんのお陰」と草創期を懐かしむ。
川淵氏の著書「黙ってられるか」(新潮社)では、両氏の対談が実現した。渡辺氏は「Jリーグは地域単位のスポーツ振興を想定して、いろいろな理想を提唱していた。一方で当時の僕は、企業単位のスポーツしか考えられない面があったのでしょう」とJリーグ草創期を回顧。
「独裁者」発言に対する強い風当たりについても「きわめてマイナスですよ。新聞社というのは民主主義を支える手段なんですから。普段、『独裁者はけしからん』という論調を張っているのに、『ナベツネは独裁者だ』なんてあらゆるところで不当に言われる。本当に被害は莫大(ばくだい)でしたよ(笑い)」と振り返った。【大谷津統一】
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