連載〈敗れた先に〉
元プロボクサー佐野友樹/前編

 「世紀の一戦」の余韻は、今も残っている。
 30年前、ボクシングの日本人世界王者同士による史上初の統一戦をリングサイドで見届けた少年、佐野友樹(ゆき)。やがてプロのリングで若き「怪物」に挑み、引退後も追い続ける夢がある。
 森合正範記者による薬師寺vs.辰吉、もう一つの物語。=前後編

◆30年前の激闘、その舞台裏で

 壮絶な闘いが終わった。名古屋市総合体育館レインボーホ―ルを埋め尽くした9800人は、固唾(かたず)をのんで判定の瞬間を待っている。  「116-112、114-114、115-114、薬師寺!」 1994年12月4日。WBC世界バンタム級正規王者の薬師寺保栄(松田ジム)が暫定王者の辰吉丈一郎(大阪帝拳ジム)を2―0の僅差判定で破った。リングアナウンサーが勝者を告げると、歓声と怒号が飛び交い、会場は不穏な雰囲気に包まれた。  松田ジム会長で、プロモーターの松田鉱二はまな弟子が勝利を収めた歓喜の中、「これはやばいな」と、辰吉ファンと薬師寺ファンの衝突が頭をよぎった。

写真左は、試合後に薬師寺を持ち上げる辰吉(下)。写真右は、健闘をたたえ合う2人=1994年12月4日、名古屋市総合体育館レインボーホールで

 すると、辰吉がリング中央の薬師寺に歩み寄り、抱き上げて勝利をたたえた。その瞬間、会場の罵声や怒鳴り声は潮が引けていくかのように収まっていく。  「あのままならお客さんが乱闘になったんじゃないか。プロモーターとして、これは困るぞ、大変だぞと思ったら、辰吉がああやってくれた。大阪からたくさんお客さんが来ていたからね。あれが大きかった。あれで一安心したね」  松田は辰吉の凜(りん)とした行動に感謝した。  リングサイドに座り、手伝いをしていた松田ジムの練習生で中学1年の佐野友樹は、目の前にある連絡用の黒電話が突然鳴り出し、慌てて手に取った。  「なんで辰吉の勝ちじゃねえんだ!」  受話器からテレビ視聴者らしき男の怒声が聞こえてきた。なぜ、ここの電話番号を知っているのだろう。不思議な思いとリング上で繰り広げられたど突き合いにしばらく体が熱くなったままだった。  日本人世界王者同士による初の王座統一戦、「世紀の一戦」から4日で30年になる。  2018年10月、私は佐野を取材するため名古屋の松田ジムを訪れた際、会長の松田に「あの試合の話を聞かせてくれませんか」とお願いした。

◆松田ジムの意地「3億4200万円」

 「おお、じゃあゆっくり話そうか」  松田はそう言って、ジム近くの喫茶店に連れて行ってくれた。普段は口数が少ない松田が、あの試合に限っては冗舌になった。

松田ジムには薬師寺―辰吉戦のポスターが飾られている

 「僕はね、おやじからジムを継いで、ずっとおやじを超えたいと思ってきた。もうそんなに先は長くないけど、あの試合のことは(天国の)おやじに持っていける。それくらいのうれしさがあったな」  当時76歳。父から受け継いだ松田ジム二代目の会長は満面の笑みで語り始めた。  薬師寺―辰吉戦が正式に決まり、注目はこのビッグマッチをどちらの陣営がさばくのかに移った。松田には意地とプライドがある。名古屋での試合開催、テレビはCBC(TBS系)を譲らず、興行権はWBC本部のあるメキシコ市での入札に委ねられた。そこでヘビー級を除く世界最高額の3億4200万円で落札した。  「僕は『やった』の一言。入札で(有名プロモーターの)ドン・キングと大阪帝拳に勝った。絶対に名古屋、という意地だね。すごい金がかかったけど、お金よりも試合をこっちに持ってきたかった」

松田鉱二は1994年度の「年間最高試合賞」のプロモーターとして表彰された

 試合の下馬評は辰吉有利。激しい舌戦を繰り広げ、前売りのチケットは飛ぶように売れた。会場は9800人収容で立ち見券の数も決まっている。松田は印刷屋にこっそり増刷を手配し、立ち見券を売りさばいた。定員をはるかに上回るチケットが出回っていることを会場と警察に知られ、慌てて回収する騒ぎになった。  「試合2日前に、お客さんが入り過ぎるから、チケットを払い戻してくれ、そうじゃないと試合を中止にするぞ、となったんだよ」  ばつの悪そうな表情でそう振り返った。  試合当日。控室を出て、試合フロアの大きな扉を開けた。その瞬間、地鳴りのような音が迫ってきた。  「もうすごい大歓声でね。『ウォー』というより『ゴーッ』という音。あれはもう二度とない。ああ、この試合をやった甲斐があったな。入場するときにそう思ったんだよ」

◆少年は「神様」に言われるがまま、練習に明け暮れた

 松田ジムの練習生で最年少の佐野は会場の異様な雰囲気に圧倒されていた。殺伐とした応援合戦。声援というより怒号が聞こえる。だが、佐野には役割がある。両手にカウンター計を持ち、薬師寺がパンチを放てば右手、当たれば左手も押す。ラウンドが終了すると目の前の黒電話でテレビ局とラジオ局の担当者にパンチ数を伝えなくてはならない。

薬師寺保栄×辰吉丈一郎 1回、薬師寺の左が辰吉の顔面にヒット=1994年12月4日、名古屋市総合体育館レインボーホールで

 薬師寺の左ジャブが当たる。右ストレートも冴える。一方の辰吉はノーガードで天才的な動きを見せる。あっという間にラウンドが過ぎていく。どちらが勝っているのか分からなかった。  「薬師寺さんの基本に忠実なボクシング。あれこそが松田ジムのスタイル。会長もずっと言っていたし、ああいうボクシングをせなあかんと思って見ていました」  テレビ視聴率は想像を超えた。関東地区の平均が39.4%(瞬間最高53.4%)、東海地区で52.2%(同65.6%)と名古屋では半数以上がくぎ付けになっていた。  「世紀の一戦」のあと、松田ジムには入門希望者が殺到した。練習熱心な佐野はかわいがられた一方で、松田は興味本位でジムに来る不良をすぐに辞めさせた。遊びでは強くなれない。ボクシングには地味な基本練習を繰り返す根気が必要だからだ。  佐野は松田に会うたび言われた。  「おまえは勉強なんかしないでボクシングだけしていればいい。いくら勉強したって大統領にはなれないだろ。だけど、ボクシングなら世界をとれるんだ」  佐野は松田のことを「ボクシングの神様」と崇(あが)め、言われるがまま練習に明け暮れた...

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