日本高校野球連盟の第6代会長を務めた奥島孝康さんが1日、85歳で亡くなった。早大の総長として大学改革を推し進めた手腕で、特待生問題という高校野球の「難局」を見事に乗り切った。

 日本高野連との関わりは、2007年の西武のアマチュア選手への金銭供与問題に端を発し、表面化した特待生問題が始まりだ。日本高野連の特待生問題有識者会議のメンバーに選ばれ、ガイドライン(努力目標)を策定。その縁もあって08年11月に高校野球界のトップに就任した。「1学年5人以内」とする高校野球特待生制度を12年度から適用し、その後、軌道に乗せた。

 法律家であり、教育者でもあった奥島さん。自負心をのぞかせたのが「学生野球の憲法」ともいわれる日本学生野球憲章の全面改正だ。戦後間もなく誕生した憲章だが、特待生問題など時代の変化を踏まえた見直しが求められた。

 田名部和裕・日本高野連元事務局長は「おおらかで、広い視点から進むべき道を考える人だった」と振り返る。10年に施行された同憲章の前文には「学生野球は学校教育の一環」と明記された。奥島さんが指導的役割を果たし、学生が教育を受ける権利を保障した。他の高校スポーツにはない誇れるルールだ。

 11年の東日本大震災発生直後には、センバツ大会の開催に尽力した。「がんばろう!日本」を大会スローガンに掲げ、被災者や救援に携わる人々を応援する大会と位置付けた。八戸学院光星(青森)の仲井宗基監督は「奥島さんの『がんばろう!日本』という言葉は心にずっと残っている。とにかく頑張ろうという気持ちになれた」と惜しんだ。【石川裕士、武藤佳正、長宗拓弥】

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