空手の世界トップ選手が参加するKARATE1プレミアリーグのモロッコ大会(2023年5月)で優勝。同年は4回目の年間王者に=植草歩さん提供

 空手の組手選手として活躍し、2015~18年の全日本選手権4連覇や、21年の東京オリンピック出場(7位)を果たした植草歩(あゆみ)さん(32)=八街市生まれ=が現役引退について、毎日新聞のインタビューに応じた。「人をリスペクトすることを競技で学べて良かった」と振り返り、「多くの関係者のおかげで今の自分がある」と感謝した。【伊藤一郎】

 ――引退を決意した経緯は。

 ◆歓声を浴びることや注目されることが好きだから、ここまで長くやってこられたと思いますが、今年1月に空手のプレミアリーグ・パリ大会で気持ちが乗ってこなかった。試合に負けても「これで家に帰れる」と思ってしまい、「もう(自分は)競技者じゃない」と感じました。また、翌2月にナショナルチームの合宿日と、私が指導する日体大柏高校の教え子のインターハイ予選の日がかぶることが分かり、子どもたちの競技を優先したいと思ったのが最後の一押しでした。

 ――7月にフィリピンで開催された国際大会で引退試合に臨まれました。

2021年の東京五輪後に半年休憩し、22年に復帰して迎えたアジア選手権(ウズベキスタンで開催)決勝で、東京五輪3位のソフィア選手(左)を破って優勝=植草歩さん提供

 ◆「勝って終わりにしたい」と思って臨みました。エキシビションとして行われた団体戦はナショナルチームのメンバーと一緒で懐かしい感じもあり、すごく楽しかったです。(優勝した)個人戦も、「空手、楽しかったな」「空手していて良かったな」と思える終わり方をしたくて、そういう気持ちで試合に臨めそうな(フィリピンでの)大会を選びました。

 ――空手人生で一番の思い出は。

 ◆初めて全日本選手権に優勝した時です。大学を卒業して社会人になって最初の大会でした。2週間前の試合で目の下の骨が折れていたのですが、空手を五輪競技にしたいという思いが強く、そのまま試合に出て優勝して翌日に入院しました。

 当時は空手を五輪競技にするための活動で広告塔を務め、ドキュメンタリー番組も進行中だったので棄権するわけにいきませんでした。活動のマスコットで終わりたくなくて、実力も伴いたかった。当時は、注目を力に変えられて自分も成長でき、大きな成功体験になってうれしかったです。

 その後、どの大会も本気で(優勝を)取るつもりで臨みました。空手だけに集中し、まだ無知の状態だったので、逆に勝つことだけを探究できていたと思います。

 ――21年の東京五輪の思い出は。

 ◆勝てると思っていて勝てなかった。今も五輪が行われると、「(競技映像などを)見たくない」と思ってしまいます。努力しても結果を出せないことはあるし、時の運もある。だとしても後悔が残っています。五輪でメダルを取れなかったというコンプレックスは、まだ吹っ切れていません。

 ――今後の五輪競技への空手の復活について。

記者会見後、道着と共に写真撮影に応じる植草歩さん=東京都港区で2024年9月24日午後1時42分、伊藤一郎撮影

 ◆やはり五輪競技に入れば、注目度や認知度は変わります。子どもたちにとって、空手が「夢があるスポーツ」「夢がある武道」になってほしい。

 ――空手をやってきて良かったことは。

 ◆礼儀作法を学びながら、世界を回れたことです。礼に始まり、礼に終わる日本の文化が海外に伝わっているのはいいことだと思いますし、人をリスペクトすることを競技で学べてよかったです。

 ――ファンや周囲の人に伝えたいこと。

 ◆ファンも、自分に関わってくれた人も、多くの関係者のおかげで今の自分があります。また、今はメディアやSNS(ネット交流サービス)に対してマイナスなイメージが持たれることもありますが、メディアにも、(自ら発信してきた)SNSにもすごく助けられたと思っています。

 ――引退する自分にかけたい言葉は。

 ◆空手以外に好きなことを見つけてね、でしょうか。お疲れさまというか、穏やかに過ごしてくださいとも。最近はアニメを見ることが好きで、競技を離れ、子ども時代の穏やかな心になっています。他にピラティスにもはまっています。

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