「負ける気がしない」

 決勝を前に、そう豪語していた小田凱人(ときと)が追い込まれた。

 7日に行われたパリ・パラリンピックの車いすテニス男子シングルス決勝。

 3―5で迎えた最終セット第9ゲーム、30―40。アルフィー・ヒューエット(英)がマッチポイントを握った。あと1ポイントを取れば悲願の金メダル。そして、すでに4大大会のすべてを制しているヒューエットにとっては、パラリンピックを含めた「生涯ゴールデンスラム」の達成となる。 小田のショットがコート中央、やや浅めに入った。ヒューエットは十分に余裕があった。強打を左右のどちらかに打ち込めば、決まる流れに見えた。小田が車いすをやや左に動かそうとしているのが視界に入ったのか、ヒューエットが選択したのは、右へのフォアハンドのドロップショット。しかし、わずかにアウト。ジュースになった。

 ヒューエットは「選択は間違っていなかったかもしれないけれど、あれほど、ギリギリを狙わなくてもよかったかも。彼は近くにもいなかったから」と悔やんだ。

 ドロップショットを小田は警戒していたが、一歩出足が遅れたという。「ボールが入っていても、ギリギリ追いつけていなかったかもしれない」

 ただ、わずかに外れた。

 「あっ、もうこれ勝てると思った」

 ゲームカウントが3―5となったときは、さすがの小田も負けが脳裏をかすめたというが、ここから息を吹き返した。

 これまでの4大大会でも、周囲を驚かせた強心臓ぶりは、初のパラリンピック、しかも決勝の大舞台でも健在だった。

 ローランギャロスのセンターコート、「フィリップ・シャトリエ」を9割近く埋めた大観衆を、小田は盛んにあおった。

 「まだ、終わらないぞ、という僕なりの表現でした」

 追い込まれた場面で、ニヤリと笑うことさえできた。

 分岐点となった第9ゲームを含め、4ゲーム連取で一気に勝負を決めた。18歳123日。この種目で史上最年少のパラリンピック王者の誕生だった。そもそも、今大会に出場した48選手で最年少だった。

 試合前からイメージしていた大の字に倒れ込むポーズをするために、自分から車いすの車輪を外して、仰向けに。背中を赤土まみれにしてみせる狙いがあったのか。全仏オープンを2連覇してきた「赤土の王者」らしいパフォーマンスともいえる。

 金メダルの感想は、「やばい、かっこよすぎる、俺」。そして、「今日勝ったことで確定したことがある。俺はこのために生まれてきた。ここで優勝するために、金メダルを取るために生まれてきました」と言った。

 「凱人」の名は、パリの凱旋門(がいせんもん)から取ったという。「凱」は、戦いに勝ち、意気揚々と引き揚げるときに奏でる音楽という意味であることを、親から聞かされた。

 凱旋門の上部にはオリンピック(五輪)期間中から、パラリンピックのシンボルマーク「スリーアギトス」が設置されていた。五輪マークで彩られたエッフェル塔と区別し、「オリパラ」それぞれのシンボルを、パリの象徴的な建造物に置く。パリの大会組織委員会の考案だった。

 昨年、17歳1カ月の史上最年少で4大大会初優勝を飾ったのは、この日と同じローランギャロスの会場だった。

 そして、初出場のパラリンピックを、運命的とも言えるパリの舞台で迎え、頂点に立つ。まさに出来すぎ、本人の言葉を借りれば、「運命の台本」に導かれた結末だった。

 「試合を楽しめました。笑っていたし、一番楽しい試合だったんで、(最終セットで)4―5になってからは全く怖くなくて、行ける、という感じでした」

 生涯で最も楽しかった試合だったのか、と聞かれ、「たぶん、現役を引退するときに、一番というのは今日の試合じゃないかな」。

 現時点ではそうかもしれない。でも、まだ18歳。これからもっと刺激的な名勝負を繰り広げる可能性のほうが大きいだろう。

 「生涯最高の試合」をどんどん上書きしていく未来が、小田凱人には待っている。(稲垣康介)

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