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  • 女子走り幅跳び 中西麻耶は7位 高桑早生は5位

  • 高桑早生「東京で見たかった景色 リベンジ果たせた」

女子走り幅跳び 中西麻耶は7位 高桑早生は5位

陸上、女子走り幅跳びの足に障害のあるクラスは障害の程度が異なる4つのクラスから12人の選手が出場しました。

日本からは4大会連続のパラリンピック出場となる高桑選手と、5大会連続出場で今大会を集大成と位置づける中西選手の2人が出場しました。

高桑早生 選手

このうち、高桑選手は2回目で今シーズンの自己ベストとなる4メートル89センチをマークすると、5回目でさらに1センチ記録を伸ばしました。迎えた最後の6回目の跳躍で5メートル4センチとさらに記録を伸ばし、この種目でリオデジャネイロ大会に並ぶ5位に入りました。

中西麻耶 選手

一方、中西選手は1回目で4メートル91センチをマークしましたが、その後は踏み切りのタイミングが合わず、6回の跳躍のうち、4回がファールとなるなど記録を伸ばせず7位でした。

▽金メダルはオランダのフラー・ヨング選手で6メートル53センチをマークし、パラリンピック記録を更新しました。
▽銀メダルもオランダのマーレーネ・ファンハンスウィンクル選手で、▽銅メダルはアメリカのビー・ハッツ選手でした。

高桑早生「東京で見たかった景色 リベンジ果たせた」

今シーズンのベストを更新して5位に入った高桑選手は「4回目のパラリンピックで今回がいちばん自信を持って臨めた。もっともっと足りない部分もあるけれどしっかり自分のやるべきことはできたかなと思う」と話しました。

そのうえで大勢の観客から声援を受けながらの競技を振り返って「会場の歓声が聞こえた瞬間、出場する選手全員のテンションが上がって私自身もちょっと圧倒されながらもこういう舞台で競技できる幸せを感じた。それと同時に3年前に東京で見たかった景色は、きっとこれなんだろうと感じたし東京のリベンジをここで果たすことができてよかった」と笑顔を見せていました。

高桑選手は、このあと女子100メートルの足に障害のあるクラスにも出場します。

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【解説】中西“陸上経験ゼロの21歳コーチと二人三脚で”

競技を終えた中西選手が一番最初に駆け寄ったのが陸上経験ゼロながら、コーチを務めた21歳の山岡璃小(やまおか・りお)さんの元でした。

中西選手は、東京パラリンピックの後、コーチをつけず1人でトレーニングに励んできましたが、働いていた生花店の娘で家族ぐるみのつきあいがあった山岡さんに去年から練習のパートナーを務めてもらっています。

山岡さんに陸上の経験は、全くありませんが、中西選手は「率直に思ったことを伝えてくれるりっちゃんなら新たな気づきを与えてくれるはず」と考えたのです。

それ以来、試行錯誤しながら二人三脚で練習を続けてきた中西選手と山岡さん。山岡さんの吹奏楽部で培ったリズム感覚を生かし、録音した中西選手の助走のリズムを聴いてよしあしを見極めるなど、陸上経験がないからこその方法で中西選手を支えてきました。

決勝で、山岡さんは日本選手団の一員として、コーチボックスで中西選手にアドバイスを送り続けました。

しかし、ファウルが続く中西選手。

自分の跳躍を見失いそうになったといいますが、5回目の跳躍の前に山岡さんから「リズムがおかしくなっている。一度リセットして5回目の跳躍にかけよう」とアドバイスをもらったことで、助走のリズムを取り戻しました。

メダル獲得はなりませんでしたが「私にとっても、りっちゃんにとってもこの挑戦をしてきてよかったなと思う。一緒にやってきてよかった」とすがすがしい表情で話した中西選手。

コーチの“りっちゃん”と挑んだパリ大会は、中西選手の今後への思いも変えました。

中西選手は、今大会を最後のパラリンピックと位置づけていましたが、「りっちゃんのコーチとしてのすごい成長を見てしまったので、もう1回2人で挑戦してみたいなという気持ち」と4年後のパラリンピックに向け、再び挑戦する気持ちが芽生えていました。

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