5月に行われた世界選手権では金メダルに届かなかった佐藤友祈選手=神戸ユニバー記念競技場で2024年5月25日、玉城達郎撮影

 東京パラリンピックでは、新国立競技場のセンターポールにオリンピックも含めて初めて日の丸を揚げた。陸上男子400メートルなどで3年前に金メダルに輝いた佐藤友祈選手(34)=モリサワ=はパリで連覇を狙う。その立場は、世界トップの座を脅かす強敵の登場で激変した。しかし、競技への信念は全く揺るがない。

コロナ禍と障害者の共通点

 佐藤選手は21歳だった2010年、突然歩けなくなった。両脚に加えて左上肢にまひが残り、階段を駆け上がり、屋外で走る「当たり前」ができなくなった。「脊髄(せきずい)炎」という診断名が判明するまで時間がかかり、悲観的な感情ばかりが膨らんで引きこもった時期もあった。

 転機になったのが、映像で見た12年のロンドン大会だった。車いすで駆け巡るパラアスリートの姿に感化され、自身の未来図が大きく塗り替えられた。運動経験といえば、幼少期にかじったレスリングくらいだった。しかし、「金メダルを取る」と周囲に宣言すると、言葉通りみるみる実力を伸ばした。

 16年リオ大会で銀メダルを獲得した。だが、トップに届かず、母国開催の東京大会は雪辱を期す舞台だった。だが、その前に立ちはだかったのが、新型コロナウイルスの世界的流行だった。パラアスリートとして、常に「障害」という不自由と向き合い、自分なりの可能性を信じて最大限のパフォーマンスを追い求めてきた。さまざまな自由が制限されたコロナ禍。大会の開催に対する賛否の声も聞こえてきた。

 ただ、「開催することに不安や不満を持つだけではなく、不自由な暮らしの中でどうしたら開催できるか、みんなに考えてほしかった」。21年2月にプロ転向を表明したのも障害者の可能性を社会に示し、パラスポーツを応援してくれる人を増やしたいという気持ちの表れだった。

 1年遅れで開催された21年の東京大会。陸上の車いす競技の中で障害が2番目に重い「T52」のクラスで、400メートルと1500メートルで2冠を達成した。

「一気にスイッチ切り替わった」

 東京で目標を達成してからは、思うようにタイムが伸びなかった。ずっとトップを競い合っていた米国の選手が一線を退いたことが、少なからず影響した。世界記録の更新という自分との闘いを続け、練習で手を抜いたつもりはなかった。だが、「バーンアウト(突然やる気を失う状態)はあったと思う」と振り返る。

東京大会では400メートルと1500メートルで2冠を果たした佐藤友祈選手=国立競技場で2021年8月29日、藤井達也撮影

 「このままでもパリで金メダルを取れるだろう」という気持ちの余裕は、同じT52クラスに現れたベルギーの新星マキシム・カラバン選手(23)の登場で一変した。

 当初はそこまで目立つ存在ではなかった。しかし、ぐんぐん記録を伸ばすと、昨夏にパリで開かれた世界選手権の400メートルでは久々の敗戦を味わった。自身が持つ世界記録も1秒近く塗り替えられた。

 「一気にスイッチが切り替わった」

 今年5月に神戸で開かれた世界選手権も、やはりカラバンの背中を追うことしかできなかった。入念に準備してきた競技用車いすが、輸送中に壊れるアクシデントに見舞われたことを差し引いても、その差は大きい。

 ただ、昨秋から環境を変えるため、オランダ人のコーチに師事し、走行姿勢を大きく変え、スタートダッシュや中盤からの加速を強化して効果も出てきた。今年6月の大会は400メートルで、かつての世界記録だった自己ベストを6年ぶりに更新するなど、着実に前進している手応えはある。

 「マキシムにひれ伏すつもりは全くない。東京のタイトルホルダーとして、このまま負けていいわけはない」

 両サイドを刈り上げた髪形で表現する「サムライ魂」が、激しく燃え上がっている。【パリ川村咲平】

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