パリ五輪レスリング男子グレコローマンスタイル60キロ級で金メダルを獲得した文田健一郎(28)。
グレコローマンでは1984年ロサンゼルス五輪の宮原厚次さん以来、40年ぶりの金メダル獲得という快挙を成し遂げた。
その裏側には、文田を支えた家族との絆があった。
悔しさの鮮度は変わらない”東京五輪”
今年5月、パリ五輪を前にした取材で、文田が振り返ったシーンがある。
文田:そういえば“すごく悔しかったな”じゃなくて、あの瞬間に感じた気持ちをまだそのまま思い出せます。
この記事の画像(8枚)それは東京五輪の決勝。豪快な投げ技を武器に勝ち上がり、世界選手権王者の肩書とともに、金メダル候補としてマットに上がった文田。
しかしその投げ技を徹底的に封じられると、試合のペースを握られたまま敗れ銀メダル。試合後には大粒の涙を流した。
文田はこの銀メダルが一つのターニングポイントだと振り返る。
文田:今振り返ってもすごく悔しいし、自分とレスリングの向き合い方を変えるきっかけとしてはすごく大きな出来事でした。悔しい気持ちを、パリで金メダルを取ることで「東京があったから」と変えていけると思います。
東京五輪以降、レスリングとの向き合い方を見直した文田。
得意の投げ技だけではなく、守備面も徹底してレベルアップを図り、どんな形でも戦えるスタイルを追求してきた。
結婚そして3人で目指す金メダル
そして、もう一つのターニングポイントが、おととし結婚をして家庭を持ったこと。妻・有美さんと 長女・遥月(はづき)ちゃん、そして猫との暮らしが何よりの支え。
有美さんは、パリを目指す文田に対し、徹底的に食事管理をするなど、献身的なサポートを続けた。
そんな中で文田の中に新たなモチベーションが生まれる。
文田:責任というか、しっかり勝たなきゃという気持ちがより強くなりました。東京が終わって結婚して娘が生まれて。3人で目指してきたものなので、代表して僕が試合に出るんですけど3人で戦っているというか、戦いに巻き込ませているんですけど(笑)僕1人で戦わなければいけないけど3人で戦っているような気持ちです。
一方で東京からの3年間、一番近くで見てきた妻の有美さんはこう語る。
妻・有美さん:東京の悔しさは彼のものだというのが私の中であったので、悲しんだり悔しがったりとかを私がすることじゃないなと思っていました。でもパリに関しては自分の中でも一緒に喜んだりしてもいいかなという気持ちになれたというか、東京の時とは少し違うかなと思っています。
金メダルを取ったら多分(文田選手は)大喜びして泣くので、喜んでうれし涙が見られたら良いなと思います。
パリでは悔し涙ではなく、家族3人でうれし涙を。
悔し涙が笑顔に
迎えたパリ五輪。文田は家族と別れてからは連絡をせず、自分の姿を一切見せないようにしていた。全部終わって真っ直ぐ家族と向き合うことを楽しみにするためだ。
3年前のリベンジを果たす舞台、決勝へと勝ち進んだ文田。スタンドにはいつもそばで支えてくれた有美さん、遥月ちゃんも駆けつけ声援を送った。
あの銀メダルから3年。悔しさをバネに、見つめ直したレスリング。
そして、支えてくれる家族の存在。
東京の時とは違う文田健一郎が、止まった時間を動かした。
相手の消極的な姿勢によるペナルティをきっかけに3ポイントを奪うと、東京からの3年間で磨きをかけてきたディフェンスを固めてリードを守りきり、金メダルをついに手にした。
勝利の瞬間、真っ先に視線を送ったのは観客席にいる有美さんと遥月ちゃん。これがバイバイ以来の家族との再会だった。手を振り、共に喜びを分かち合った。
試合後のインタビューで文田がこの3年間を振り返った。
文田:ずっと後を振り返ると東京から一本道というか、東京からつながって今があると実感していて、東京の悔しい気持ちとか味わったこととかをこの舞台に持ってきて、自分の強さに変えて今度は金メダルを取れたと思います。
うれし涙は流さなかった文田。代わりにとびっきりの笑顔がそこはあった。
メダル獲得後、楽しみにしていた家族との再会。
東京の銀メダリストは3年後パリで世界一のパパになった。
文田:世界で一番強いパパにはなったけど、まだ世界一のパパにはなってないと思っています。これまで妻や娘への時間が割けていなかったので、これからはたくさんの時間を妻や娘に費やしたいですね。
世界一のパパ、そして世界一の家族を目指す『文田家物語』は、まだ始まったばかりだ。
『すぽると!』8月24日(土)24時35分 8月25日(日)23時15分フジテレビ系列で放送中
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