誕生から100年の阪神甲子園球場は「勇気」であふれていた。

 象徴的だったシーンがある。3回戦の大社―早稲田実。延長十一回、大社の攻撃前のベンチでのやりとりだ。無死一、二塁から始まるタイブレークで、石飛文太監督は選手を集めた。「バントを決められる自信がある者はいるか?」

 背番号12の安松大希が手を挙げる。「三塁側に決めてきます」。この夏、島根大会も通じて初出場の2年生は三塁線ギリギリに転がした。バント安打となり、サヨナラ勝ちにつなげた。

 「誰よりもバントの練習をしてきた自信があったんです」。ひりつくような局面でも迷いはなかった。

 早稲田実も負けていなかった。九回1死二、三塁の守り。ここで左翼手に代わって出場した1年生の西村悟志は投手と三塁手の間を守った。「内野5人シフト」。相手打者の打球の傾向から自らこのポジションをとった。狙い通りにゴロをつかみ、ピンチをしのいだ。

 低反発バットが導入されてから、初めての夏だった。導入直後の選抜や春の都道府県大会は、打球が飛ばなくなったことで、「野球がつまらなくなった」との声をよく聞いた。

 ところが、どうだ。

 今大会、手に汗を握るシーンが何度もあった。総本塁打数は金属製バット導入後最少の7本。総得点は昨年より147点減ったが、1点差の試合は昨夏より10多い19もあった。より「1点」が重くなったのだ。

 バットのほかに、タイブレークや投球数制限など、近年の高校野球は変化がめまぐるしい。それでも選手たちは工夫を凝らし、順応してきた。初優勝の京都国際は自主練習が中心。送りバントのサインでも自分の判断で強攻に出たり、選手同士で守備位置を確認しあったり。それぞれの考える力を結束した先に3441チーム(3715校)の頂点が待っていた。

 主体性と勇敢さ。次の100年も、甲子園は進化する球児たちで彩られていく。(山口裕起)

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