延長十回無死満塁。関東一のエース・坂井遼(はる)投手(3年)は押し出しの四球で相手に1点を与え、マウンドを降りた。今大会で初めての失点。チームはこの回2点を失い、その裏の攻撃はあと一歩及ばなかった。アルプス席にあいさつを終えると涙があふれた。「最高の仲間、最高の監督、最高の場所で投げてきた。最高の喜びで終わりたかった」
関東一は今年の春のセンバツの開幕戦で、八戸学院光星(青森)と対戦。延長十一回の末に3―5で敗退し、「忘れ物を取りに行く」と夏の甲子園に戻ってきた。エースの速球派右腕・坂井投手と背番号10の左腕・畠中鉄心(てつしん)投手(3年)の二枚看板を中心に、守り勝つ野球で接戦をものにしてきた。この日の決勝も畠中投手が先発し、七回から坂井投手が継投した。
春と夏の甲子園で異なるのは、2人の背番号だ。
畠中投手は緩急と制球力が武器の左腕。1年秋にメンバー入りし、翌年春からは2年生ながらエースナンバーを背負った。今春のセンバツもエースで登板した。
だが、今年の夏、背番号「1」を付けたのは坂井投手だった。
米沢貴光監督には、こんな思惑があった。真面目で堅実な畠中投手と、明るさが持ち味の坂井投手。2人の性格から「坂井の爆発力を引き出すにはエースナンバーが必要と考えた。畠中は10番だろうが1番だろうが、ぶれない」と期待した。
畠中投手は悔しさはあったが、「チームの全国制覇という目標のため、気持ちを切り替えた」。左右で強みが異なるからこそ、自分に与えられた役割で全力を尽くそうと決めた。
一方、最後の夏に背番号1を付けた坂井投手も、「番号ではエースと決まっているけど(マウンドに)あがったやつがエース。投げる役目を任されたら、達成するだけ」と言う。
今大会、準決勝までの4試合で15回3分の2を無失点とエースらしい好投でチームに流れを持ってきた。大会中には目標にしていた最速150キロを超えた。
頑張れたのは母一恵さん(43)の存在も大きい。小学4年から母と2人暮らし。地元の野球チームに入団したが、始めた頃は試合に出られず、「早くうまくなりたい」と泣きながら家に帰ったこともあった。母は自転車で並走してランニングに付き合い、キャッチボールもしてくれた。中学の卒業式の日、「甲子園に連れて行く」と手紙で伝えた。
夢がかなった決勝戦。「任せたよ」。坂井投手は七回に畠中投手からマウンドを託された。「全力を出し切って、悔いはない。畠中なしで勝ってくることはできなかった。なくてはならない存在だった」と感謝した。【長屋美乃里】
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