憧れの舞台に立って
夏の甲子園に初出場し初勝利を挙げた栃木の石橋高校。
マネージャーの吉田光来(みらい)さんは憧れの甲子園のグラウンドに立っていました。
吉田光来さん
「球場に入った瞬間、観客の多さと歓声の大きさに鳥肌が立ちました。高校野球がこんなにも愛されているんだなと思いました」
突然、日常が変わり野球を失った…
去年7月、チームのエースを目指してピッチャーをしていた吉田さん。
当時の3年生が引退し最後の1年となり、やる気に満ちあふれている時でした。
練習中に2回、突然グラウンドで倒れました。
感じたのは左半身の違和感。
でも最初はすぐに治ると思っていました。
吉田さん
「左側に力が入らなくなって。少し休めば元どおりになったんで、最初は熱中症かと思っていました」
その3日後、自宅で目が覚めた吉田さんは左半身が動かなくなっていました。
息苦しさもあり、すぐに病院に救急搬送されました。
医師から伝えられたのは“脳梗塞”。
もともと生まれたときから脳の血管が細いことが原因ではないかという説明を受けました。
さらに「もう指先は動かないと思ったほうがいい…」とも。
絶望を感じたこの時の握力は『ゼロ』でした。
物を握ることができず、補助や車いすがなければ歩くことができなくなりました。
それでも吉田さんは“一晩寝ればまた歩けるようになる”そう信じていました。
吉田さん
「状況を受け入れられなかったし、何が起きているのかわかりませんでした。入院前に倒れたときはすぐに元に戻ったので、朝起きたらまた元どおりになっているのではないかと思っていたのですが」
「人一倍頑張っていた光来がなんで…」
吉田さんとチームの中で一番仲がいいという、キャプテンの田口皐月選手もひどく動揺しました。
田口皐月選手
「正直、ショックでした。人一倍真面目に努力していた姿を見てきたので、何で光来なんだろうって」
田口選手を中心にチームの同級生は手書きのメッセージを書いたしおりを届けました。
“入院中の吉田選手を元気づけたい”という一心でした。
『みらいがいないと甲子園はじまらんぞ、ぜったい戻ってこい!!』
コロナ禍で家族もなかなか見舞いに来られない中、チームメイトからのメッセージを励みに、吉田さんはその年の夏を病室で過ごしました。
テレビで見ていたのが甲子園で活躍する同年代の選手たちのプレーでした。
“必ず甲子園に行く”。
そう心に誓って、まったく動かなくなった左半身を少しでも動かせるようにリハビリに専念する決心をしました。
2か月間の入院中に続けた懸命のリハビリの成果で、吉田さんは車いすがなくても歩けるまでに回復していきました。
ただ、退院した時の握力は『4キロ』でした。
“選手として野球部に戻りたい”
秋に病院を退院した吉田さん。
進級に必要な出席日数がギリギリになっても、懸命にリハビリを続けました。
「選手として野球部に戻りたい」という固い決意からでした。
医師からは、脳梗塞でまひが残った場合、個人差はあるものの発症から半年ほどで回復する見込みが非常に低くなると伝えられていました。
それでも吉田さんは脳梗塞で倒れてからおよそ10か月後、グローブを握ってボールを取れるようになりました。
地道なリハビリなどを続けた結果、握力は『26キロ』まで回復していたのです。
日常生活でできない動作はほぼなくなり、医師からは「ふつうでは考えられないほどの回復だ」と驚かれたといいます。
入院当初から息子を見守っていた母親の幸恵さんは、日に日に以前の姿に近づいていく様子にうれしさを感じていました。
母・幸恵さん
「もっと早く病院に連れて行ってあげたら、病気について知識があったらと悔やむことはある。(光来も)春は無理でも夏までには。そう思ってリハビリも頑張っていたし、すごく選手としての復帰にかけていたと思う」
しかし、吉田さんはことし3月、大きな決断をしました。
周りの選手が最後の夏に向けて練習を強化し、成長を見せる中、その横でリハビリを続けていました。
選手として復帰するのは難しいと実感し、監督に「マネージャーをやりたいです」と告げたのです。
この言葉には、ある思いがありました。
吉田さん
「3月に本格的な野球のシーズンに入り、最後の夏に向けた練習試合が始まる前に自分の中で区切りにしようと思っていました。リハビリを続けてできないことは減ってきたけど、走れないし、ボールも取れないし、野球ができるような体ではなかったです。ピッチング練習をしなければならないのにできなくて、あの時期が一番苦しかった。
だから、マネージャーになる道を選んだこと自体が苦しかったわけではありません。野球が好きだから。このチームが好きだから。少しでも長くこのチームで一緒に戦っていたかったんです」
吉田さんの選択を尊重し、歓迎してくれた監督やチームの仲間。
マネージャーとして受け入れてくれました。
初めて夏の甲子園へ
マネージャーとしてグラウンドに戻った吉田さん。
ノックでのボール渡しや道具の準備、練習時間の調整、選手へのアドバイス。
元選手としての経験を生かしながら、さまざまな場面でチームを支え続けました。
石橋の選手たちは吉田さんの思いに応えるように、ことしのセンバツに出場した作新学院など強豪校を次々と破って、ついに初めて夏の甲子園への切符を手にしました。
夢の舞台でも自分にできることを
憧れの甲子園の舞台を前に吉田さんには気がかりなことがありました。
キャプテン、田口選手の不調です。
1番バッターとして役目を果たすことができず苦しんでいるように見えました。
吉田さんは、ワンバウンドさせた軟式ボールを打つという独特な打撃練習にマンツーマンで付き添いました。
その甲斐があってか、田口選手は初戦でヒットを打ち、5対0で宮城の聖和学園に勝利。
チームは甲子園での初勝利という快挙を成し遂げました。
試合後、吉田さんに満面の笑みが見られました。
吉田さん
「最高の気分です。田口もヒットを打ってくれて、練習の成果が出てくれて自分のことのようにうれしい。この夏、終わる気がしないです」
甲子園に連れてきてくれて『ありがとう』
甲子園では記録員としてベンチに入り、選手たちを励まし続けました。
チーム史上初の1勝を挙げましたが、3回戦で強豪・青森山田高校に敗れ、最後の夏が終わりました。
吉田さんは選手たちに感謝の言葉を伝えました。
吉田さん
「つらいリハビリを頑張れたのもみんなのおかげです。甲子園に連れてきてくれてありがとう」
選手たち
「一緒に野球をやれてよかった、ありがとう」
吉田光来さん
「甲子園でプレーするというのは目標でもあったので、もちろん選手として出たかった気持ちはあります。でも自分の分もみんなが思い切りプレーしてくれて、一緒に戦っている気持ちだったので、後悔はまったくありません。リハビリはつらかったけど、この仲間と甲子園という舞台を目指せたことが、本当に楽しかったので頑張ってこられました。高校野球楽しかったです!!」
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