<マイ・ウェイ! パリ・パラリンピック>  パリ・パラリンピックは8月28日に幕を開ける。十人十色の道のりでトレーニングを積んできたパラアスリートたち。初出場選手から複数出場を重ねるベテランまで、それぞれの歩みをたどり、本番への覚悟に迫る。    ◇  ◇

◆「普通は車いすでやる」ほどの障害

 選手生命を脅かすほどの大けがが転機になった。パラ卓球の七野一輝(オカムラ)は立位クラスから、2022年に車いすクラスへの転向を余儀なくされた。だが、災いが転じ、わずか2年でパリ切符をつかんだ。思わぬ形で広がった可能性に戸惑いつつ、自分なりのプレースタイルを見いだした。

車いす転向後に初めて出場した全日本選手権で奮闘する七野一輝=武蔵野の森総合スポーツプラザで

 先天性の二分脊椎症で両脚などに障害があり、2歳から装具を着けて歩いた。卓球を始めた中学生の頃から、つえを突くようになった。大学生になって上半身の筋肉が発達すると、体を支えきれず、車いす生活に。ただ、立位クラスでプレーを続けた。  両脚はほとんど動かせない上に、左手でつえを使って体を支えるため、実質右腕1本で戦う。「装具とつえがないともう立てない。その障害だったら普通は車いすでやるよね、とよく言われた」と苦笑する。力負けしないように上半身の筋力トレーニングを重ねると、下半身への負荷は増すばかり。立位の最重度クラスでプレーしていたが、世界ランキングは最高で19位。それでも立位にこだわったのは、3年前の東京パラリンピックをあと一歩で逃した悔しさがあったから。「格上にも勝てていたし、チャンスはある」とパリの舞台を目指した。

◆事故で肉離れ「もう立位は無理だ」

立位クラスでプレーしていたころの七野一輝

 だが、限界は突然やってきた。22年春、練習中にバランスを崩して転倒。右太ももの肉離れで1カ月近くラケットを握れなかった。長年の負荷で亜脱臼気味だった股関節の状態も悪化した。「もう立位は無理だ」。車いすへの転向を決断せざるを得なかった。  半年間はひたすら自分と向き合った。これは勝ちにつながる練習なのか。今後も自分はパラ卓球選手としてやっていけるのか―。なかなか葛藤は消えなかった。  山なりの打球をネット際に落として手前に戻すロビングなどの技術が主流の車いすクラスでも、立位のときに磨いたパワーを生かした強打を多用した。秋の全日本選手権を制し、23年3月に車いすで初めて挑んだスペインの国際大会でもいきなり優勝。世界ランキング3位に躍り出た。「パラリンピックに出られる」。パリ・パラリンピック出場圏内のランキングを守るため、5月以降はほとんどの国際大会の出場を見送った。

◆いきなり3位…「苦しみは多かった」

立位クラスでプレーしていたころの七野一輝

 一見、とんとん拍子に映る。しかし、実際は好成績に心が追いつかなかった。力を試す機会を失い、「自分に(世界)3位の実力はない」と、もんもんとする日々。「立位のときは上を目指して攻めるしかなかったが、まず(世界ランクを)守らなければならない状態になった。車いすになってからの方が、苦しみは多かった」。代表選考レースを逃げ切った今年6月、国際大会で再び優勝し、ほっとした。「このまま攻撃的なスタイルを磨こう」。プレーの方向性も定まった。  憧れ続けたパラリンピック。「世界最高峰の舞台。欲張らず、過小評価もせず、いつも通りの自分を貫きたい」。立位から車いすへ。唯一無二の経歴を武器に、のびのびと夢の大舞台でラケットを振る。(兼村優希)

 七野一輝(しちの・かずき) 25歳、東京都稲城市出身。今大会は卓球男子ダブルス(車いす8)と男子シングルス(車いす4)に出場予定。



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