(17日、第106回全国高校野球選手権大会3回戦 小松大谷3―6智弁学園)

 小松大谷の夏が終わった。

 捕手の東野達(いたる)主将(3年)は試合後、「勝つことがすべてだと思っていた」と悔しさをにじませた。ただ100年を迎えた甲子園に大きな足跡を残した。

 3度目の出場で甲子園初勝利を挙げ、2回戦で大阪桐蔭を撃破。東野主将は「彼がいないとここまで来られなかった」とエース西川大智投手(同)を語った。

 大阪桐蔭を完封した西川投手も同じ石川県小松市出身。別々のチームで小学生のころから対戦し、互いに意識していた。

 東野主将は「西川は一番やりたくないピッチャーだった」と話す。長い手足を生かした投球で打ちにくかった。西川投手は東野主将を「縦にも横にもデカい。よく打つバッターだ」と感じていた。

 小松大谷でチームメートとなり、顔を見れば何を考えているか分かる仲になったという。新チーム発足時は西川投手が主将。ただ今春の県大会前、投球に専念できるようにと東野主将に引き継いだ。2人が中心になり、チームを引っ張ってきた。

 この日の四回裏のピンチ。ベンチスタートだった西川投手が伝令でマウンドに向かった。表情を変えない東野主将だが、西川投手には「普段より焦っているように見えた」。笑顔で、冷静になろうと呼びかけた。

 ただ智弁学園は隙を逃さず、長打に犠打も絡めてじわりと点差を広げていく。

 4点をリードされた七回裏2死一、二塁の窮地で、4人目として西川投手がマウンドに上がった。東野主将が「お前がしめて、チームに流れをもってきてくれ」と声をかけると、西川投手は「分かっとる。任せろ」と返した。

 無失点で切り抜けると、反撃ムードが高まる。八回表には満塁の好機をつくり、九回表には1死二塁で4番の東野主将に打順が回った。

 大声援のなか、「まだまだいこう」と3球目を振り抜いて左前適時打。後続が断たれて逆転はならなかったが、「夢のような舞台で本当に幸せだった」と東野主将。「西川の存在は大きかった」と語った。

 西川投手も「高校で同じチームになれて、2人でこうやって最高の舞台に立てて、心にくる」。

 最高の夏だった。(小崎瑶太、蜷川大介)

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