鳥取城北との2回戦で一回裏1死、右翼線三塁打を放つ明徳義塾・山畑真南斗選手=阪神甲子園球場で2024年8月12日、滝川大貴撮影

 甲子園で大活躍した叔父に近づきたい――。第106回全国高校野球選手権大会に出場している明徳義塾(高知)の山畑真南斗(まなと)選手(3年)は、同校が2002年夏に全国制覇した時に主力選手だった叔父を持つ。幼少期に野球を教わり、その後も折に触れてアドバイスを受けてきた。今大会ではアルプス席で観戦する叔父に、躍動する姿を見せている。

 2年ぶり23回目の出場となる明徳義塾は12日、初戦の2回戦で鳥取城北に7―0で完勝。2番・遊撃手の山畑選手は右翼線三塁打と左翼線二塁打を放ち、守備でも三遊間のゴロを横っ跳びで好捕するなど攻守で活躍して「すごく楽しめた」と顔をほころばせた。

おいの雄姿をアルプス席で観戦

バルーンスティックを手に明徳義塾を応援するOBの沖田浩之さん=阪神甲子園球場で2024年8月12日午後2時29分、来住哲司撮影

 その雄姿を明徳義塾のアルプス席で見守ったのが、母加寿子さん(44)の弟の沖田浩之さん(39)だ。同校2年生だった02年春のセンバツから4季連続で甲子園出場。身長162センチと小柄ながら、2番・左翼手だった同年夏の甲子園では3回戦で八回裏に右翼ポール際に同点2ランを打つなど、チームの初優勝に貢献した。主将兼中堅手だった3年時は春夏の甲子園とも1勝止まりだったが、全日本高校選抜の一員として03年8~9月にタイで行われたアジアAAA選手権大会に出場し、打率5割5分6厘(18打数10安打)で首位打者賞を獲得した。

 亜細亜大に進むも3年生の時に左肘を手術。卒業後は「野球を続けたかったが、硬式野球は体に負担がかかる」と近畿の軟式野球の企業チームでプレーした。現役だった20代後半に出身地の兵庫県尼崎市に戻り、当時5歳前後だった山畑選手に野球を教えた。

2002年夏に全国制覇した明徳義塾の主力選手だった沖田浩之さん=阪神甲子園球場で2024年8月12日午後2時29分、来住哲司撮影

 沖田さんが「厳しい指導にも真南斗は泣きながら食らいついてきた」と明かせば、山畑選手も「厳しく指導された」と口をそろえる。公園のグラウンドで叔父のノックを受け、捕球できないとグラウンドを1周走って練習を続けた。

電話でもアドバイス

 沖田さんは10年ほど前に現役を退き、焼き肉店を各地で運営する会社に入社して東京都内に転居。このため直接指導はなくなったが、その後も山畑選手は「野球絡みでよく電話して教わった」という。

明徳義塾の山畑真南斗選手=兵庫県西宮市の津門中央公園野球場で2024年8月14日午後0時51分、来住哲司撮影

 山畑選手は中学硬式野球チームの尼崎ボーイズ、明徳義塾と叔父と同じ道を歩む。「おじさんは甲子園に4回も出て、小柄なのに長打力もあり、すごい選手。一歩でも近づけたらと思ってやってきた」。身長165センチとチームで最も小柄だが、今春にU18(18歳以下)高校日本代表候補選手(39人)に選ばれた。2人の恩師の馬淵史郎・同校監督(68)は「山畑は俊足、堅守。小さい体でよくやっている」と評価しつつも「沖田に比べたら根性は半分」とさらなる発奮を促す。

 今夏の高知大会決勝の翌日、寮で監督、コーチ、部員らが参加するバーベキューがあり、肉などを手配した沖田さんも参加。21歳下のおいに「最後の夏に甲子園に行けるのだから、緊張したらもったいない。楽しんだ者勝ちやで」と助言したという。初戦での活躍に「うれしい。伸び伸びやっている。母校が甲子園に出ると応援によく来ているが、今大会は例年より楽しみが増した」と喜ぶ。

 明徳義塾は16日の3回戦で関東一(東東京)と対戦。山畑選手は「優勝しておじさんと同じ景色を見たい」と、聖地で22年前の再現を目指している。【来住哲司】

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